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人が嫌がることを人にやらないということは、その人にその行為をしないことだけでは不十分で、しないことを示さなければならない

回りくどいタイトルですね。

こんにちは。

先日、このようなnoteを投稿しました。

このnoteで、わたしはこのようなことを申し上げております。

言っていることはシンプルですが、案外やってしまうのが人間ってものですよね。とにかく、やってしまったら謝りましょう。そして、その行為をその人にやらないことを示しましょう。

すきまノート (2024): 「"No means No" も "Yes means Yes" も意味を知っていようと実践できなきゃ意味がない」

わたし個人としてはとても大事だと思っていますが、誤解されると思ったので、今日はそのことについて少しだけお話ししようと思います。

それは「人が嫌がる行為をやらない」の認識では不十分で、「人が嫌がる行為をやらないことを『示す』」ことを大事にしています。

人が嫌がることをやらないのはもちろん必要ですが、それを示すことで初めて被害者は安心できます。それをしてしまった人に対して普段会っているなら、その嫌がる行為をやらなければ、それがやらないことを示しているのでいいと思います。しかし、普段頻繁に会わない人に対してだったり、やったことの程度が大きかったり、相手がそれ以外にも不信感を募らせていたりするなら、謝ることはもちろんのことですが、被害者にとってはそれが「やらない」ことの安心感につながるとは限りませんからね。

あなたのやったことが大きければ、相手は二度と傷つきたくないということで拒絶するかもしれませんが、そのときは内省しましょう(反省ではないです)。あなたがやったことの大きさがわかっていてそれを認める力があるなら内省できますよ、たとえ時間がかかっても。

わたしもここには書けないぐらいたくさん人を傷つけてきました。内省することで成長できるか知りませんが、少なくとも、内省しないどころか逆上する人よりは成長できると思います。

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