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養生している場合なのか?という問題

世間はコロナウイルスの話題で持ち切りの昨今ですが。有事の真っただ中ですが私といえば相変わらずお灸を据え養生をつぶやくという生活を続けています(もちろん十分に感染に注意した上で)。

私にとって「その仕事や活動が有事の際でも続けていけるかどうか?」というのは結構大事な指標で、それに従ってういるわけです。この考えは私は高校生の頃に読んだ『黒人リズム感の秘密』という本に由来します。


1992年1月、湾岸戦争が勃発した。私は日々ダンスバトルに明け暮れ、オーディションの日々を送っていた。戦争がはじまるまではあれほど反戦デモが盛んであったアメリカだが、戦争開始と同時にテレビはじめマスコミが一斉に「アメリカ頑張れ」「正義頑張れ」一色になってしまった。
ー中略ー
「冗談じゃない、こんなところで死んでたまるか」
と同時に
「ダンスなんかやってる場合じゃない」
心の底からそう思った。
ー中略ー
今まで、私が生涯をかけて気張ってきたのは何のためだったんだ。ダンスで有名になってそれが何になる。戦争になれば全部終わりではないか。
ダンスなんて所詮平和な世の中で、退屈だから余裕がから存在するものなんだ。私が命がけで守ってきたものは、結局世の中には必要ではなかったのか。『黒人リズム感のヒミツ』七類誠一郎

これはエピローグの中の一節。著者はその後ショックから立ち直り、「ダンスを社会にとって必要なものにしていく」という方向でこの項は終わります。

ちょうどダンスに熱中していてこの本を手に取ったのですが本論とは特に関係がないこのエピソードが妙に心に残りました。「今取り組んでいることは平時ではなくなっても同じようい取り組むことができるのか?」私の場合は「養生している場合なのか?」ということになります。

答えはイエスで、どんな状況でも養生は必要だと思っているので、いつもと同じようにつぶやいているわけです。まあ今回の場合は相手がウイルスですから養生して身体を養うことが関係ないということもないのですしね。

同じ理由で「もし3億円がもらえたらどうする?」という問いに対しても最近では「規模感は変わるかもしれないけど同じことをしていると思うよ」
と答えたら良いことに気が付きました(だからいつ3億円が手元に入っても安心です。ないけど)。

そんなわけで今日もお灸を据えて、養生をつぶやいています。

お灸とデザインの人。お灸治療院のお灸堂、お灸と養生のブランドSUERUの代表をしています。みのたけにあった養生ってどうすりゃいいの?という課題に向き合う毎日です。