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体系化と単純比較の狭間で

論文執筆と娯楽に追われて、ご無沙汰していました。
早いもので、自身の修士取得まであと数ヶ月になりました。とっくに社会人になっている大学同期の話を聞いて、「ついていけないことが寂しい」半分、「聞けば聞くほど楽しみになる」半分。ブラック企業とか、少し頭のおかしい顧客らが彼らを蝕むような話を耳にしても、それを実体験として語ることができる社会人への憧れは、強くなるばかりです。ゆっくり沈む船だとしても、そこに乗り込めたときの安堵感と無敵感は、リアルタイムでぬるま湯に溺れている学生からしたら、当然の狂気なのかなと思います。


本題。


「△⭐︎の知識を活かして、⭐︎△ができます」

今日は、就活中よく言っていた“こういう言葉”について、たまたま、そしてやっと、しっくりくる解釈を見つけたので、それを書き留めておきます。


もともと、視野が広がるとか、知識が広がるといった言葉の通り、
積み重ねた知識はできることを増やす、戦えるフィールドを増やすようなものだとイメージしていました。


違和感を覚えてはいたけれど、知識が枝葉のようについていって、樹木の樹冠がどんどん膨らむ様子がイメージできるから、間違っていないんだろうとよく考えずにいました。

けれど、ある視点から見ると、これは正しくないのだと気がつきました。

先程のイメージの先を考えます。樹冠が膨らんで、月とか太陽とか、はるか上にある真理に到達するというイメージだと、完全に間違っている、ということが言いたいわけです。外部に届くのではなく、内部に作るのだと思うのです。

そして、枝葉が直線的に成長し、その先に実った果実は、多様かつ十分な養分が蓄えられていないのです。どちらかというと、枝葉で囲まれた余白部分を、毛細血管のようなさらに細い枝で埋めること、それを樹木と融合させて内部に満たしていくことで、ブラックボックス化した樹木内で化学反応のように、「体系化した知識」が突然生まれるのです。

「△⭐︎の知識を活かして、⭐︎△ができます」

これは、間違ってはいないかもしれないけれど、確実に言葉足らずであり、
正しくはこうです。
「○×の知識を活かして、(できないことや間違っていることを避けた、実現するべき)⭐︎△ができます」

ここまで書いていて、なぜかタイピングがどんどん重くなったので、一旦筆を置きます。充電が残り少ないと動きが鈍くなるiPhoneと私は、なんの相乗効果も生まないので、大人しく一緒に休みます。でも、書きたかったことの要点は書けたので満足です。

読んでいただきありがとうございました。また早いうちに、気が向いたら更新します。

スキー


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