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世の大半は、生き辛い。けれど。

自分の生き辛さをADHDの傾向であればなんて
今の世の大半が当てはまるもののことを思っていた。

大学三年、一人暮らし。
不安定が常だが、いつもよりキツい、
このままでは危ない気がすると、落ち着いた頃を見計らって実家へ帰った。
危ういながら自然体を意識して生活してたら
あるとき母に、お世辞でも自然とは言えない空気で自然を装って「HSPって知ってる?」と聞かれた。
聡い母は私の限界に気付いているだろうとは思っていたけれど、それに何か原因を求め、探っていたことには驚いた。

私はHSPについて知らなかった。
調べてみるとADHDとセットにして書いてあるnoteに辿り着いた。
そこにはHSPの特徴が羅列されていた。

それは、今までやった心理テストのようにバーナム効果ではなく、他の人は何故当てはまらないのか分からないくらい、自分に重なった。
第六感は無いなと思うけれど
それ以外は全て、自分だった。

大学三年の夏。
周囲がインターンや自己分析に勤しむ中、
皆に着いて行こう、普通であれ、と
膨らむ不安を見ぬ振りして進んでいたら、誤魔化し切れなくなった自分。
惨めで、情けなくて、それでもそれが自分だから逃れることが出来なかった。

今回あるnoteに出会ったことで、
私の自己分析はここからか、他と違う方向から進んで良いのだと、肩の荷が少しだけ降りたような気がしている。
サングラスをしないと目が上手く開けられない理由も(偏頭痛が理由かと思っていたけれど)、
自分の思考が止まらない日とそうでない日にここまで苦しめられる(自分に浸るようで嫌な言い方)ことになった理由も、他にも色々なことが解けてゆき、
今ここにこう吐いてしまうことも、それが理由であれば良いなと思う。
そしてネガティブな言葉ばかりつらつらとここに吐き出すのは控えられると良いなとも思う。

これを短所と捉えるだろう人が身近にもいること、
反対に生かす方向を考えてくれる人の存在も過ぎり、
全て上手く行けば良いと願う。

このnoteも消すことになるかもしれないけれど、少し楽になったプラスな気持ちのまま吐き出してしまいたくなったことを許して欲しい。

これからも、不安定で覚束無い、
裸を見せるような剥き出しの駄文を並べてしまうのかもしれないけれど
ここが優しい場所だと信じて、
人を前に吐き出せばその人まで暗く変えてしまう言葉たちを、避けられる空間で吐いて、似た人に出会えたらいいなと願うばかりです。

何だか本当に情けないなぁ。
先の自分が笑っていたら良いな

p.s.
昨日初めて自分をフォローしてくれた方が居てとても嬉しかった。
此処に居て良いと言われた気さえしました。
追記してしまったので届くか分かりませんが、ありがとうございます。

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