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もしも死んだら


10月に、祖父が亡くなった。

7月まで車を運転するほど元気だったのに、突然よく分からない難病にかかって、そこからは早すぎるほどに早かった。


死ぬ、ってなんだろう。
死んだらどうなるんだろう。


おじいちゃんどこ行ったんだろう? 葬儀中ずっと考えていた。考え続けても、答えは出なかった。


先日、四十九日の法要が終わり、祖父はいよいよ「あの世」へ逝った(という設定になった)。でも、それまではどこにいたのだろう。

もしも死んだのが私なら。と、考え続けていたものを(せっかくなので????)書き残しておく。

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もしも死んだら。死因にもよるが、まず誰よりも自分ががっかりだ!推しにもう一度会いたかった。あわよくば結婚したかった。ちくしょうめ!

やり残したことの多さを悔やむだろうが、持ち前の切り替えの早さで自らの死を受け入れていきたい。


両親はかなり落ち込むと思うが、葬儀の手続は何とか頑張ってほしい。二人の隣でエールを送りつつ、生命保険をかけていなかったことを謝罪したい。もしも死んだら、葬儀費用は親持ちだ。


葬儀には、一応主役なので参加する。遺影は可愛く加工してほしい。参列者には一人ずつ感謝を伝え、それぞれの近況を聞けると嬉しい。あまりの参列者の少なさに「この子って、こんなに友だち少なかったんやな。。」と、両親はここで二度目の悲しみを味わうだろう。


そのあとは、葬儀で疲れを取るために実家でゆっくりしたい。家族がまだ悲しんでいればまぁまぁ、と慰める。


次に恋人や友人の家に行って、ちゃんと悲しんでくれているかをチェックする。せめて三日間ぐらいは引きずっていてほしい。


その後、落ち着いたら両親が私の一人暮らしの部屋にきて片付けや遺品整理をしてくれるだろう。「そ、そこだけは見ないでー!//」と透明人間の抵抗も虚しく、クローゼットから出てくる赤面グッズを手にする両親と私の間には気まずい時間が流れるかもしれない。

(これを書いている今、死を感じた瞬間にスマホを破壊すると決めた。)


ある程度片付いたら、一人で旅に出たい。


飛行機ならファーストクラス、新幹線ならグリーン車で。死人優待を利用して、行けなかったところの全てを贅沢な気持ちで訪れたい。


気が済んだら実家に帰ろう。やっぱり何気ない日常を家族と一緒に過ごすのが一番だ。


そんなこんなで四十九日が経つと、いよいよ「逝かなきゃいけない」日がやってくる。少し寂しいけれど、もう既に亡くなってしまった祖父母にまた会えるのが楽しみでもある。


あの世からも「この世」のことは野次馬精神で見守ろう。それに私はちゃっかり者で甘え上手だから、閻魔さまに可愛くお願いして定期的にこっちに帰らせてもらおうと企んでいる。

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などと考えていたら、死んでもなんだかんだ家族や大切な人のそばにいたいんだろうな〜と気づく。(そして、なんだかんだ楽しくやっていくんじゃないかな〜って。)

だから、私が考え続けていたあの時、祖父はずっと私たちのそばにいてくれたと思う。それはもちろん、今も変わらずだ。

それならきっと祖母もそばにいるし、運が良ければその先の先祖とかもいてくれるんじゃない。そう思うだけで自分が無敵に思えてくる〜!

「死ぬ」って悲しいだけじゃなく、これまで以上にその人を身近に感じるきっかけにもなり得る。

それにもしも死んだら。悲しい別れだけでなく、楽しみに思える再会も待っている。

祖父のように90年近くも生きていたら、今世での別れが悲しい人と同じ数ほど再会を楽しみに思える人がいたと思う。やったね!おじいちゃん。


なんかもう長すぎて訳わかんなくなってきたけど

死ぬって、悪いことじゃないのかも。生きることも、死ぬことも、ぜんぶ繋がっているんだな〜。はあ、ちゃんと生きよう〜。

1500字も書いて、要はそれだけなんだよね〜。


と、ここ最近は、祖父の死を通して、そんなことを考えていたのでした。

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