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7月31日と2017年の思い出

7月31日、今日は私の記念する日である。2016年のこの日、私は母教会で洗礼を受けた。前にも書いた気がするが、8月に行われる大きなキャンプがあったおかげで、その前日もそのキャンプ準備をしに現地に赴いていたため、自分には何も緊張感を覚えないまま洗礼を受けた。

私の母教会にはプールがないこともあり、洗礼の儀礼は滴礼である。上の写真は洗礼を受ける私である。この2016年は前に述べた通り非常に濃い感じであったが、詳しくは1つ目2つ目のnoteを見ていただければ、と思う。

近況

ところで、最近の私はnoteを離れ、ツイキャスを毎日配信している。内容は聖書通読で、文語訳で舊訳聖書を読んでいる。実際旧仮名遣いで読みづらいのもあるが、今日ヨシュア記に入った。もしお時間ある方は是非一度聞いて欲しいと思っている。

また、もちろんツイキャス聞けない、と言う方のためにYouTubeの方でもアーカイブを残し、すべて再生リスト化もしているので、マイクの調子がおかしかったり、噛み噛みな回もあったりするなどお聞き苦しいものも中にはあるが個人的に奮闘しているのでこれも眺めていただければ、と思っている。

2017年の大きな出来事

さて、今回は2017年の私を振り返りたいと思う。2016年は教会にイエス様に染まった1年であったが、翌年はその反動も大きい1年であった。まず、2017年3月に1年の大学留年を経て卒業すると思われていたが、大学の学業<教会という公式が当てはまっていたくらいだったため、気付けばこの年度の取得単位0単位ということになってしまった。学生課からバイブルキャンプ中にかかってきた電話で「休学と言う措置を取ったという申請をしなければ退学になる」と言われ焦った私は、休学の申請を行い何とか次年度に単位取得を図ったのである。

4月、5月…

次年度、2017年度に入り、受講しなければならない講義を再々履修することになった。そして私にとって大きな出来事が近づく。

4月末、GW直前の時、母教会の牧師先生に5月に大規模な帰省を行うと告げた。理由としては親や家族に会うためでもあるが、地元の祭りを大いに楽しむためであった。その仔細を牧師先生に告げると真っ向から否定され、「その理由で帰るのであれば、教会で礼拝した方が良い」と言われた。正直その時嫌な感情がムクムクと現われ、牧師先生に嫌悪の情が浮かんだのと同時に非常に腹が立ってしまった。教会を出てから「こんな教会二度と来るものか!」と思い、私はその後教会と一定の距離を置く日々を過ごすようになった。

今まで教会の方と過ごした時間を埋めるように勉強等に充てる時間とした。そして、暇があったら賛美を聞くという習慣も嫌になり、賛美の曲が自然に聞こえてきたら耳をふさぐというように徹底していた。その間の私は教会の方に会わないように忍びのように生きていたと思っている。

夏の野外礼拝

そんな生活を始めて2か月くらいしたある日、教会の先輩からある連絡が入った。「ある主日、花火とかもする野外礼拝をするんだけど来る?」というものだった。ある意味、祭りのようなもので教会から飛び出してしまった私だったので、教会側がこちらに歩み寄っている感じがしたのと同時に、喘息持ちだった私に花火の思い出はさほどなく、こういう場でしか花火は体験しないだろうな、という2つの思いから参加の方向に向かっていった。

野外礼拝当日。久々に教会の面々と会ったわけだが、牧師先生とは話したくないという気持ちが凄くあった。そんな私に話しかけた方がいた。「兄ちゃん、なんで教会に来ないの?」振り返ると牧師先生の息子さんだった。彼からすると他愛もない会話をしたかったと思うのだが、私は焦ってしまった。理由はこんなところで言うもんじゃない。だから頭の中に言い訳ばかり出てきて会話が成立しなかった思いがした。その疑問が今でも強烈に記憶に残った。

花火というイベントではあったものの、その鬱々とした感情がその上を覆い、花火の思い出より会話が強烈に覚えてしまうということがあった。

ゴスペルナイトでの思い出

私の母教会には礼拝が2つある。朝の礼拝とゴスペルナイトである。私が洗礼を受けた時にはその真ん中に朝の礼拝と同じものを韓国語(牧師先生の母語である)で説教するものがあった。そのゴスペルナイトが少しずつ進化を遂げていったのも2017年であった。

ノンクリスチャンのマリンバ演奏家を招いて演奏会を開催、そして説教をも行うという試みも始まり、私はそれを機に教会にまた通い始めたのである。私は礼拝のメッセージとある何かを一緒にしたイベント的なノリのものには行きやすいのでは、と思っていた。

クリスマス

クリスマス礼拝の時、私の教会での礼拝再開における復活をするべく子供らの劇のサンタ役をすることになった。そしてサンタのリハーサルをしに土曜日に教会へ赴いた。そしてリハーサルが終わり、スマホを眺めていたらある連絡が入った。母からだった。

「おばあちゃん、今晩が峠みたい」

何といっても私は実家ではおばあちゃん子だったので、少しでも長生きしてほしいと思っていた。だから、その晩は教会で祖母のために祈り、泊まることにした。

翌朝何も連絡がなかったので一安心した。そして無事にサンタ役を務め、その後昼食の分かち合い(私の母教会ではここまでが1セットとなっている)をしていた時にスマホにメールが入った。

「おばあちゃんが亡くなった」

私はこのサンタ役が終わってから祖母が旅立ったんだな、と思っていた。そして、その教会での分かち合いの時にその話題はほとんど出さず、その代わり手紙を書いたのである。

当初私はお葬式に参列するのを拒んでいた。理由としては、あまりにも私がクリスチャンであることを話している親戚が少ないこと、また、仏教への恐れがあったためである。だから、本当に嫌だなと思っていて、教会で書いたその手紙で参列したことにしておいてくれ、と母に頼み込んだ。そして公には発表しなくていいから棺に入れておいてくれ、と注意書きのように書き込んでおいた。

送った翌日、ある一報がもたらされた。それは母が親戚にその手紙を見せてしまったらしく、気丈に振舞っていた私の伯母(前回の手厳しいしつけをする伯母と同一人物)が感動の涙であふれてしまい、それが葬儀スタッフにもれ、スタッフが代読していただけるという内容だった。そんな素晴らしい文章だったのか? と半信半疑しながら、代読するくらいなら本人が読む、と言って結局参列することにしたのだった。

参列すると、喪主である父の1人息子だったため、あらゆる葬儀儀礼をこなすことになり、私は棺の出棺くらいしたいと思っていたのに気づけば祖母の遺影を持たされ、霊柩車(これに乗るのは初めてだった)で火葬場に向かうという、結構大変忙しい諸々を行った印象がある。

ただ、手紙を書いて伯母を感動させた話は数日後にあった除夜礼拝(大晦日の深夜に行われている礼拝)で唯一、証として話すことができ非常に嬉しかったのと同時に、こんなジェットコースターみたいな1年はそうそうないだろうな、と思った。

2017年を振り返って

まとめてみると長い期間教会を離れていたので、その間に起こった色んなものが抜けていて、2016年と違い前後編に分ける必要がなかった。しかし、主との交わりの中で、色んな紆余曲折があって主の僕を忌み嫌っちゃった現実は悔い改めなければいけないなと改めて実感している感じです。最近もコロナ禍ではあるので、教会の説教をオンラインで聞く日々を送っているため牧師先生とのコミュニケーションも取れていないなとは実感しているが、このコロナ禍で大分、母教会の中も変化してきているみたいだ。2017年は牧師先生とのつながりで難が発生したが、翌年もまた難が発生したのである。それをどのように対処したのか、また次回、書きたいと思っている。

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