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『日常』って何だっけ

こんにちは、すけです。

コロナウイルスの影響で、私たちの生活が大きく変化し始めてから早3ヶ月。

外出自粛、在宅勤務、テレビは再放送ばかり、本当に色々と変わりましたね。

ここ最近の生活を振り返る中で思ったわけです、

『以前の日常ってどんなんだったっけ』と。

たった数ヶ月前のことなのに、すぐには思い出せないのです。

不思議ですよね。


『デファクトスタンダード』という言葉をご存知でしょうか。

『デファクトスタンダード』

直訳すると、「事実上の標準」

公的な標準化機関からの認証ではなく、市場における企業間の自由競争によって、業界の標準として
認められるようになった規格のこと。

分かりやすい例を挙げると、

Microsoft社の『Windows OS』は典型と言えます。

デファクトスタンダードとは、いつの間にか社会に浸透しているもの。

人々は『それ』を当たり前のように使用する。

つまり、私たちの生活に完全に馴染んでしまっているため、聞かれてもすぐには思い浮かばないものなのです。


話を戻しましょう。

なぜ僕がデファクトスタンダードの例を持ち出したかといいますと、

コロナの影響で大きく変化した私たちの『今の生活』が、早くも『スタンダード』になりつつありませんか?

気付かないうちに、です。

人間をはじめ、動物には高い環境適応能力が備わっています。

いつの間にか以前の日常の記憶は薄まり、新しい日常に着実に適応している。

僕はそれを肌で感じたのです。

新しい日常に適応することは、『良いこと』なのでしょうか、それとも『悪いこと』なのでしょうか。

答えは『良いこと』だと、僕は思います。


最近、世間(特にビジネスシーン)では『ニューノーマル』という言葉が頻繁に使われています。

あらゆる業種・業界が、

コロナの影響で変化しつつある社会(ニューノーマル)に適応すべく、様々な策を講じています。

当然、適応することができる企業は生き残り、適応できない企業は淘汰されるでしょう。

残酷かもしれませんが、これが「資本主義」というやつです。

社会に変化はつきもの。

予測できる変化もあれば、予測できない変化もあります。

今回のコロナの影響というのは、当然後者といえるでしょう。

(中国はもしかすると予測していたのかも?)


前述の『適応の可不可が生死を分ける』というのは、人材についても同じです。

私たちは「変化」に挑まなければなりません。

在宅勤務などはその典型ですよね。

在宅勤務が普及したことによって、「できる人」「できない人」がより明確化したとよく耳にします。(指標は成果)


冒頭に『以前の日常ってどんなんだったっけ』と述べました。

ニューノーマルな社会に適応するんだ!!と考えたとき、

果たして前の日常を懐古することに意味があるのかなと思いました。

一概に『過去を振り返るな!』ということではありません。

『過去ばかりを見て、変化に目を背けるな!足を止めるな!』ということが言いたいのです。自分に。


実際、コロナの影響による社会の変化は望ましいものではない、と考えている人がほとんどでしょう。

僕もその1人です。

だからといって、逃げてはならない。

変化に挑め。


以上。

自分を奮い立たせたい「すけ」より


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