ぱぴぷぺこぱぴこ

 昨日、パピコを半分食べた。何年ぶりだったか思い出せないが、食べて良かった。アイスを食べたという罪悪感を感じたとしてもいいだろう。おいしさには変えられない。

 時を戻そう。何が良かったかというと、まず形状だ。かつてのパピコは吸い口?先っちょ?がなかなか切れないことがあった。しっかり凍っているとポキッと折れるのだが、少し溶けているとビニールがびよーんと伸びてしまってなかなか切れない。ふたつにポキッと折るあの氷菓子さながらだ。はさみを使わなければならなかったとしても良いだろう。いや、私はそうは思わなかった。昨日買った時も、先っちょが切れなかったらどうしよう...ベタついたはさみを洗う一手間か...と思ってしまっていた。だがしかし、この期待は良い意味で裏切られた。先っちょの取っ手が丸く指を入れられる構造になり、より効率的に切り取ることができるようになっていたのだ!取っ手の構造以外にも工夫があるのかもしれないがどうでも良いこともない。なんと素晴らしい工夫をしてくれたことか。

 時を進めよう。もう一つ何が良かったかというと、食感だ。パピコと言えば、氷多めのしゃりしゃり食感の思ひ出がぽろぽろだ。最後の頃は溶けて液体と化していたとしてもコーヒー牛乳として美味しいから悪くない。むしろ飲める感じが良かったりもした。だが、一口食べて驚いた。口当たりがクリーミーではないか。それはかき氷とちがうなぁ。そして、握って食べやすく柔らかくなりやすい。さすがに素手では冷たくてかぶっていた毛布でパピコをそっと包み込んだが、バキッと氷を崩す感じから、むにっと柔らかくなったアイスになったことにより、最後までアイスとして楽しめた。それはアイスやないかい。口当たりがクリーミーになったことによって、味に高級感とまでは行かないまでも満足感が増した。とはいえ、晩ご飯がパピコで良いとまでは思わなかった。種類が違う。

 結局何が良かったかって、いつの間にか流れていた時の中で、いつの間にか行われていた企業努力の結果を堪能して味わうことができたということだ。企業は製品に対する努力を絶やさない。かつても美味しかったパピコをさらに進化させて、「先っちょの切りやすさ」という細かすぎて伝わらない可能性のある改良点を見いだして改善するという努力。この繊細さは日本ならではなのだろうか、誇らしい。食感は好みがあるのかもしれないが、変化したということはより良い製品にしようと努力を試みたということ。私は好み。この過程を想像して、努力することが出来る社会があるのだな、とうらやましくも思ったしどこか安心もした。知らないだけで、こういう企業がきっとたくさんあるんだろうし、あって欲しい。

 時を戻そうにも、もうネタがないということがだめなんじゃない。今日はパピコのあと半分を食べなくてはならない。

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