たかがクレーンゲーム、されどクレーンゲーム

 昨日、良いことがあった。たまにやりたくなるクレーンゲームで、景品をゲットできたのだ。かなりの集中力と百円玉を要した。あほだと思われるだろうし、私もそう思う。しかし、良かったものは良い。うれしかった。硬貨を握りしめた左の手のひらについた、あの独特のにおいでさえも良い思い出だ。

 そのゲームは正確にはアームで挟むタイプではなく、クレーンの先端がはさみの様になっているものだった。初めて見た。まずクレーンを右に動かしてセットし、さらに前方に出してセットする。景品がぶら下がった紐に標準を合わせてはさみで紐を切れたら景品ゲット、というゲームだった。このはさみの部分がすごく小さくて、照準を定めるのがとても難しかった。

 だんだんと左右の感覚が分かってきた。片眼で見てはいけない、両目で紐に焦点を合わせるのだ。ひとにとって、いや、動物にとって眼が二つ必要な理由がここにある。左から流れてくるクレーンをちらっとでも見ようものなら、片眼で見てしまって焦点は定まらない。

 次に、前後の感覚だ。これがまた難しい。ゲーム機の側面から見て、腕をいっぱいに伸ばしてボタンを押しても良かったのかもしれないが、見ることを意識しすぎて途中でボタンから手を離してしまった。あっ。さらに沈黙。いけない、この作戦はだめだ。ちなみに、このボタンは押してクレーンが動き始め、手を離すと止まるのだが、やり直すことはもちろんできない。結局、正面かすこし斜めから適切な位置を探ることにした。

 はじめの数回で、うまくはさんだと思った。それなのに紐が切れない。どうしてだ?少し迷った。しかし、私は行動に出た。店員さんに声をかけたのだ。すいません、あの挟むヤツなんですけど、ちゃんと挟んだはずなのに紐が切れないんですけども・・・。かなりの勇気が必要だった。店員さんは見に来てくれた。そして、真面目に真顔で言った。あー、歯は切れるようになってるんで、でも切れないこともあるんですよね。何回かやってもらって(紐が)けばけばになったらあげますので、そのときは言ってもらえれば。私は答えた、分かりました、ありがとうございます。

 そのときはまだ分かっていなかった。だが、この数回後に分かったのだ、私のはさみは紐をとらえてはいなかった、ということを。ほんの少しだがはさみが紐より前に出ていたのだ。それは切れる訳がない。なるほど、そういうことか。この微調整が難しいからこそ、このゲームはゲームセンターという場で職を得て、そして役割を果たしているのだ。ゲーム機よ、これがおまえさんのやり方か。

 それからも、何度も同じ過ちを繰り返した。ほんの少しのタイミングのずれなのだが、なかなか修正できない。途中集中力が途切れたせいか、左右の調整を誤ったり、ものすごく紐の手前で止めてしまったりもした。しかし、あきらめたくなかった。あきらめるという癖をつけたくなかったのだ。

 だが、現実は厳しかった。イライラもしたし、一度あきらめて帰ろうとも思った。たかがゲームだ、無駄にお金をつぎ込んでも後で後悔するだけだ。それよりも、帰って美味しいビールを飲もうじゃないか。そう言い聞かせようとした。

 それから予定していた買い物をした。帰るつもりだったのに、この数分間でやっぱり気が変わった。あきらめたくない。やっぱりあいつをゲットしないと、明日以降も引きづって気が済まないだろう。

 決意を決めて、ゲーム機の前に再度やってきた。イライラも落ち着いていた様に思う。何せ、相手は必殺仕事ゲーム機だ、また大きく息を吐いて、百円玉を投入した。さっきよりも紐から随分とずれてしまっていた。たった数分で感覚がこんなにもずれるとは。継続は力なり、という意味を思い知った。

 何度目だろうか、ついにはさみが紐をとらえた。チョッキン!と紐が切れるばずだった。だが、紐は使い物にならないほど切れているのに、ほんの少しの繊維でもってまだ繋がっていたのだ。景品という、軽いとはいえ重みがぶら下がっているというのに。

 しかし、これは落胆する場面ではない。むしろ喜ぶ場面だ。事実、私はにやけた、そして、店員さんを呼びに言った。4歩くらい歩いて戻った、他人に取られないか少し心配になったのだ。よく見てみよう、周囲に他人はほとんどいない。こちらを見ているのは、先ほどわんわんをゲットした私よりも明らかに大先輩のおばさまだけだ。あの達人が他人の景品を取る訳がない。他は、各々にしか興味がなさそうだ。私はきびすを返し、店員さんを探しに行った。さっきと違うお姉さんに声を掛けた。あの~...、我ながら声がすこしうわずっている。鍵を開けてくれた。景品を取ってくれた。やっとゲットできた。

 うれしかった。あきらめないで良かった。年甲斐もなく、周りなど気にならず、にやけてしまった。先の店員さんであるお兄さんが登場したが、真顔で素っ気なかったという事実には触れたくない。お姉さんが明るく対応してくれたのが幸いだった。

 あきらめずに挑戦し続けて、成功体験も得ることができた。1万回は言い過ぎとしても、だめでへとへとになっても、1万1回目は何か変わるものだ。最初、ゲットできてたはずなのに...と思ったが、出来ていないという事実を冷静に見直すことができたことも良かった。かたがクレーンゲーム、されどクレーンゲーム。ひととして、意外にも考えさせられた。

 いくらつぎ込んだかって、考えてはみるけれども後悔はない。これがもっとくだらない文章になるはずだったのに、と少し後悔はしている。ただ、クレーンゲームはたまにだけ行くことにしよう、と思っただけだ。

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