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それは翌日に姿を現した

400年に1度と言われた大地震から10年。
当時の私は職場であったコンビニで「これはちょっとやばいかもな」と感じながら、咄嗟にレジカウンターの後ろにある煙草の什器を押さえていた。
幸い、と言っていいのかわからないが、私が住んでいた地域は停電の被害だけで済んだ。
非常灯が灯る店内は、有線から流れていた音楽も消え、レジのモニターは真っ暗になった。
テレビもないため、被害がどれほどものかわからず、Twitterを開いたような気がする。その後、当時はまだガラケーだったためワンセグで見たニュース映像に怖気がした。
ドラゴンヘッドを思い出した。

しばらくすると他の従業員がちらほらと集まって来た。
ほとんどが独り身のため、ひとりで家にいるのが心細かったのだろう。
店内には食料だけはたんまりとある。トイレもある。水も出る。誰かが持ってきたカセットコンロとヤカンでお湯を沸かしてコーヒーを飲む者もいた。銅のヤカンで沸かしたお湯は、こんな非常事態でも飲めたものではなかった。

電源の切れた冷凍庫から商品を取り出し、まだ雪がチラつく店外に出した。この時点で電気はすぐに復旧すると思っていた。

日が落ち、店内の非常灯にも限界がきていよいよ暗闇にのまれた。懐中電灯の明かりを頼りにこれからどうなるんだろうという空気が濃くなっていった。

家族がいるので私は家に帰った。
翌朝出勤すると、男性従業員たち数人は家から毛布を持ってきて、ダンボールを床に敷き寝泊まりしていたらしい。さながらキャンプだった。
今になって思うと、災害時に必要なものは「一緒にいてくれる誰か」なのかもしれない。
不謹慎ではあるがその光景を見て「おまえら楽しそうだな」と思ったことは確かだ。

そして被害が停電だけで済んだものの、恐ろしかったのはそれからだ。
出勤途中にあったコンビニの前には数人の人集りができていて、開くはずのない自動ドアの前で何やら叫んでいた。ゾンビ映画で見た光景だ。
電気はまだ復旧していなかった。
そうなるともちろんレジは稼働しない。ドロア(お金が入ってる場所)も開かない。これは鍵で開けられたのだが、通電していないレジでは商品のバーコードを読み取ることができない。
つまり通常通り、商品を販売することができないのだ。

それでも通りがかったコンビニに人集りができていたように、私が勤めていた店にも客が来た。
いちいち説明していても埒があかないので、外からさす陽光でかろうじて反応するソーラーパネルの電卓をレジカウンターに置き、営業することになった。
無論、レジのスキャナーは使えないので客が持ってきた商品を見て他の従業員が商品があった場所までプライスカード(値段がかかれてるやつ)を取りに行く。
何がいくら売れたかをメモする。
そうしないとあとで売上を計上できないからだ。
ちなみに売上計上は、通電してからすべてレジで入力しなければいけなかった。死ぬかと思った。

そして午後3時頃、ようやく電気が復旧し始めた。
うちの店は地元のパン屋が経営しているため、復旧直後から工場を稼働し、できた商品から納品された。
ここからが地獄絵図だった。
積み上げられた番重(パンとか入ってるグレーの箱)が店内に到着するや否や、逃げ遅れた人間に群がるゾンビのように客が集まってきた。
前途した通り、こんな非常時とはいえ納品されたものと売上を記録しなければいけない。
本来ならば検品と言って何の商品が何個納品されたかを専用のデバイスを使ってチェックする。しかしそんな悠長な時間はなかった。すでに商品にはゾンビが群がっているのだ。
ゾンビに言葉が通じるはずもなく、我々の制止の声などまるで耳に入っていないかのように我先にと商品に手を伸ばす。積み上げられた番重を勝手に降ろし、次々に商品を手にしてレジに向かっていく。
主に即席で作ったサンドイッチや惣菜が入のコッペパンなのだが、ここは津波の被害に遭った被災地でもなければ、電気も復旧している。
家で米も炊けるし、ガスだって使える。電子レンジも使える。
なのに何をそんなに必死になって食べ物を手にする必要があったのか。
これはおそらく「不安」だ。
もしまた余震がきたら…関東以北が甚大な被害を受けているなら、今後流通が止まるのではないか…。
そんな不安が、彼ら彼女らのモラルを崩壊させたのだろう。

あの日、被害の大きさに関わらず誰もが不安だった。
乗客を誘導する駅員、インフラ関連の仕事をされている方、医療従事者、警察、自衛隊、そしてスーパーやドラッグストア、ホームセンター、コンビニなど、食料品や日用品を扱う店舗の従業員。
みんなが不安な中、対応していた。
その人たちにも家族がいたかもしれない。
家族の安否に胸をかきむしられながらも仕事に従事していたかもしれない。
あの時、自分がいちばん不安でいちばん援助を受けるべき立場だとかり立たせた、そうさせるくらいの前代未聞の出来事だった。
けれどそんな非常事態でも仕事に就かなければいけない人たちも不安であることを少しでも心の中に留めておいてほしい。
それが仕事だろ、と言いたいかもしれないが、仕事だからと割り切れることとそうでないことがある。

私の地域には津波の被害はなかった。
だから恐ろしいと語るには軽微だ。
しかし10年経っても、あの時の人の無遠慮さや変貌ぶりは恐怖として心に残っている。
例のウイルスが流行り始めたころ、ドラッグストアからトイレットペーパーがなくなった時に同じものを感じた。
不安は物では埋まらない。
物で埋まる不安は、それが無くなればまた煙のように湧き出てくるだろう。
不安に理性を乱されるな。
非常事態下でこそ、人間としての理性や道徳心を失わないことが命に繋がるのではないかと思う。

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