個性と社会性、顔と服。
2022/12/09(金) #213:hiko
最近考えたこと。
タイトルの通りなんだけど、人を見ていて、顔は個性を、服は社会性を感じとれる気がした。
自分では着ない、あるいはあまり見ない服を着ている人に出会ったとき、その服はよく「個性的」と形容される。
だが違う。
本当に個性的なのは顔だ。
この違いは「選択可能性」にある。
顔は選べないし変えられない。少なくとも簡単には。簡単に変えられるものが個性なわけないだろ。
だからこそ、俺たちは選択可能な服装でもって自己を表現する。
「社会性」とは、自己が他にはたらきかけ、同時に他が自己にはたらきかける連体のことなんだ。
だから、「この服似合いそう」というのは、「自分はこの服を着る人間として見られている」ことを潜在的に意識している。「なんとなく」という経験による曖昧な確信を伴って。
かくいう俺も、バイトでワイシャツに革靴を履いている。持ち合わせのカバンがなかったのでビジネスバッグを提げている。その格好で、古着のカーディガンを羽織り、ピアスをつけている。
フォーマルに見られたくないっていう主張と、特徴のある上着を着る人間として見られたい、見られてきたっていう主張と経験が、俺にこの服を選ばせた。
ように思う。
By hiko.
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