見出し画像

【ネタバレあり】ドクター・ストレンジMoM感想

20220709追記:MCU最新作「マイティ・ソー ラブ&サンダー」みてきました!こちらの感想も是非御覧ください。

以下、本来の内容になります。



MCUドクター・ストレンジ マルチバースオブマッドネス(MoM)を見に行ってきた。


「マルチバース」と題されているだけにMCUだけでなく、X-MEN他のキャラクターの登場が噂されていたが、ご多分に漏れず私自身もそこに期待を抱いていたうちの一人。

ここからはネタバレ含めた感想になります。

あらすじは簡単にいうと、スカーレット・ウィッチ(ワンダ)によって引き起こされた一連の事件を追うストーリー。スカーレット・ウィッチの目的は、別ユニバースで存在する二人の子供がいる生活を手に入れるため。そのためにアメリカ・チャベスがもつユニバース移動能力を奪おうとする。ドクター・ストレンジがそれを阻止する、という物語。

個人的にはこの映画が「肯定の物語」に感じた。それは2つあり、1つは登場人物たちの肯定。もう1つは広義のマーベル作品、及びそのファンに対するメタ的な肯定。

1つ目の登場人物たちの肯定について。

全編通して語られていたのが「あり得たかもしれない人生」。ストレンジはクリスティーンと結ばれた可能性を思い描くし、ワンダは子供のいる生活を手に入れようとする。彼らにとって、それらが得られていないことが、人生における欠点であり、不完全さであると感じている。

ストレンジはどのユニバースでもクリスティーンと結ばれることはないのだが、「愛することも愛されることも面倒ではなく、怖かった」とクリスティーンに告白する。クリスティーンから「恐れを乗り越えるように」言われ、ストレンジは「どの世界でも君を愛している」とクリスティーンに告げる。ストレンジは恐怖を受け入れ、クリスティーンへの愛の告白により、彼女と結ばれない自分自身を肯定した。

スカーレット・ウィッチは物語終盤、別ユニバースの息子たちに出会うのだが、こどもたちにとっては恐怖の対象でしかなかった。スカーレット・ウィッチは膝から落ちるのだが、別ユニバースのワンダによって、「私があなたを愛する」と肯定される。自身が成り代わろうとしていた相手に許され、また、彼女自身も現実を受け入れ、禁断の魔術を封じることになる。

そしてエンドロールにおける、ウォンの「自分の人生に感謝している」というセリフ。唯一、ユニバース間の移動を行っていない人物。作中では、常に目の前の惨状に対して果敢に対処し続けてきている。至高の魔術師であるウォンにとって、サンクタムの崩壊や同朋の死は、メインの二人よりも壮絶な経験に思えるが、それでも「自分の人生に感謝している」と言えるウォンの人格と一貫した行動が、マルチバースという不安定な物語の背骨になっている。

なお、アメリカ・チャベスについても同様に自身の能力を受け入れ、覚醒するシーンがある。ただ、「肯定」という要素よりも「成長」の意味合いの方が強いように思う。それは単純にストレンジやワンダのような、ある意味完成された「大人」に対しての、アメリカの「若さ」が強調されていたように思う。

2つ目の「広義のマーベル作品、及びそのファンに対するメタ的な肯定」について。

それは言うまでもなく、チャールズ・エグゼビアの登場。彼は元FOX社のX-MENシリーズの主役で本来はMCUと交わるはずのない人物。(ディズニーによるFOX買収という大前提があるにせよ)彼のMCU登場は、マルチバースを題材にした本作品だからこそ実現できた。ただ、このエグゼビアはX-MENシリーズの彼とは異なるだろう。が、それでいいのだ。大事なのはパトリック・スチュワートがそれを演じたということ。本作品では、マルチバースのキャラクターは同一の俳優によって描かれた。つまり、X-MENシリーズも、MCUが包含するユニバースのどこかにあるかもしれない、という「可能性」が彼の登場により肯定された。肯定されたのはX-MENシリーズそのもの、つまりキャラクターや役者であり、それを支えてきたファンたちである。「仕切り直し」ではなく「つながり」を持たせてくれた。私自身、X-MENが大好きで、本当に嬉しかった。(エグゼビアにはもう少し花を持たせてほしかったが)

もっとも、これはスパイダーマンNWHでも同じことが言えるのだが、こちらの作品ではスパイダーマンの「受難」と「救済」の旧約聖書的な親和性を感じたのだが、これは改めて記事にしてみたいと思う。

まとめ。

振り返ればご都合なところはあるにせよ、テンポや演出がそれを気にさせない。終盤の畳み掛け(ストレンジの「どの世界でも愛している」やワンダの「私があなたを愛す」、ウォンの「自分の人生に感謝している」)というセリフが、マルチバース題材故に響く。そしてこれらのセリフはそれぞれのキャラクターだからこそ活きる。(故に、彼らの出自を知らないと視聴は厳しいのも否めない)
マルチバースは難題のはずだが、この映画によってハードルが引き下げられた感がある。それがあまりに自然すぎて、少し物足りなさもあったが、それは結果論だろう。次作が早速楽しみである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?