見出し画像

我が麗しの女優たち マリアンヌ・フェイスフル

我が麗しの女優たち マリアンヌ・フェイスフル

1. カタカナ表記:マリアンヌ・フェイスフル
2. 英語表記:Marianne Faithfull
3. 出身国:イギリス
4. 生年:1946年生まれ
5. 現在の年齢:76歳

映画館で映画を見るようになったのは、中学生の頃ですから、1970年代の初めです。
とにかく、ませたガキでしたので、映画というエンターテイメントは、日常ではお目にかかれないようなナイスバディの美人を楽しむ娯楽だと決めておりました。
当然のことながら「我が麗しの女優たち」は、その多感な心に胸ときめかせた女優が多くなるのですが、もちろん、60年代以前にも、美しい女優は、星の数ほどいます。

クラシック美女との出会いは、ほぼテレビの映画放送でしたね。
インターネットもレンタルビデオもなかった時代です。
ほぼ、毎日のように洋画劇場はテレビで放送されていましたから、気になる女優の出る映画は、チェックしました。
ですから、60年代以前の映画は、大学生になって名画座に通うようになるまでは、全て日本語吹き替えのテレビ放送で見ていたことになります。

マリアンヌ・フェイスフルを初めて見たのもテレビでしたね。
その映画のタイトルは「あの胸にもう一度」。
相手役は、アラン・ドロンでした。

夜明け前、亭主の寝ているベッドからそっと抜け出したヒロインのベロニカは、全裸に黒のジャンプスーツを身につけて、オートバイに跨ります。
オートバイは、大学教授のダニエルからプレゼントされたもので、新妻のレベッカと、ダニエルとは不倫の関係にありました。

自由人のダニエルは束縛を嫌い、結婚を否定する男です。
彼はレベッカに、恋愛と情事しか求めません。
そんな、ダニエルと決別するために、レベッカは別の男と結婚をしてしまうのですが、どうしてもダニエルのことが忘れられません。
彼女は、ダニエルにもう一度抱かれるために、フランスの片田舎から、国境を超えて、ドイツのハイデルベルグにバイクを走らせます。

映画のストーリーは、たったこれだけ。

アラン・ドロン扮するダニエルは、道中のレベッカの回想シーンでしか登場しません。
しかし、レベッカが、街に到着すると・・

この作品の英語タイトルは、”The Girl On A Motorcycle”
とにかく、マリアンヌ・フェイスフルの、黒皮のジャンプスーツ姿は、かっこよくて衝撃的でした。
人気アニメ「ルパン三世」に人気キャラ峰不二子は、この映画のレベッカがモデルになっているというのは有名な話。

実は僕は本屋の息子だったので、モンキー・パンチが描いていた漫画「ルパン三世」が、漫画アクションに連載されているのをリアルタイムで知っています。
「あの胸にもう一度」が、日本公開された1968年は、僕は小学校3年生。

待て待て。

漫画の方の「ルパン三世」は、確かその前から連載されていたはずだぞと思っていたら、どうやら、この映画のレベッカがモデルになったのは、アニメ版の峰不二子だったようです。
アニメ版を監督したおおすみ正秋氏のコメントが、Wiki に載っていました。

アニメ「ルパン三世」が、テレビで初放映されたのは、1971年。
確か、第一回放送に登場した峰不二子はジャンプスーツ姿でしたね。
スーツのジッパーが下げられて、あわや不二子の巨大なバストが・・・
なんていう、際どいシーンもありました。
こんなシーンだけ覚えているのもいかがなものかと思いますが、映画の方にも、ダニエルが、レベッカのジャンプスーツのジッパーについている赤いリングを、ツツーッと下ろすドキドキするシーンがあったのは覚えています。

ちなみに、映画の原作は「オートバイ」という、アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグによる小説。
もちろんこの小説にも、黒皮のジャンプスーツ姿の女性が登場しますが、こちらには明確なモデルがいたようです。
それは、ドイツのモーター・サイクル・ジャーナリストだったアンケ=イヴ・ゴールドマンという女性で、写真を確認しましたが、なかなかの美人。
ちょっと峰不二子を彷彿とさせますね。世界で初めて、黒のジャンプ・スーツを着た女性だそうです。
その下は全裸だったかどうかは不明。

もちろん「あの胸にもう一度」には、ラブシーンもふんだん。
フランス映画らしく、スタイリッシュで、おしゃれなでしたね。
この映画は、のちに、大学生になってから、名画座でも一度再見しています。
91分しかない映画ですから、テレビでもノーカットだったかもしれません。
この文章書くのに、YouTube にアップされていた動画はいくつか拾って確認しましたが、この時21歳の、マリアンヌ・フエイスフルは、やはり今見ても魅力的ですね。

彼女の作品は、これしか見ていませんが、実は彼女は歌手としてのデビューが先でした。
“As Tears Go By”という彼女のデビュー・シングル。
この曲をローリング・ストーンズのミック・ジャガーとキース・リチャードが書いたのが縁で、彼女は、ミック・ジャガーと1970年まで付き合うことになります。

1967年の世界初の衛星生中継で、イギリス代表だったビートルズは、「愛こそすべて」のレコーディング・セッションを全世界に披露しますが、このスタジオの観客の中には、ミック・ジャガーと一緒にマリアンヌ・フェイスフルの姿も映っていました。

ストーンズの「ハイドパーク・コンサート」のドキュメント映画でも、彼女は息子と一緒に映っていましたね。
実は彼女は、ミックと付き合いじめた時点では、人妻でした。この子は前夫との間の子供です。
後に、前夫とは離婚して、正式にミックと付き合うことになるのですが、どこか映画の設定と重なる部分があって興味深いですね。
ローリング・ストーンズがホストを務めた「ロックン・ロール・サーカス」いうテレビ・ショーでは、彼女は歌手として出演していました。

初期には「エンジェル・ボイス」と言われるほどに、かなり可愛らしい歌声なのですが、ロックスターの彼女としては色々と心労も多かったようで、酒・タバコ・薬で、たちまち声はつぶれ、次第にハスキー・ボイスになっていったようです。
全裸でオーバードーズ状態で発見されるなど、マリリン・モンローのようなスキャンダルもあり、清純派としてはキャリアは積めなかったようです。

ずっと後になって、WOWOWで、なんとなく録画してあったフランス映画に、久々に彼女の名前を見つけてビックリしたことがありました。
2007年の、「柔らかい手」という作品で、「あの胸にもう一度」から、39年ぶりの映画主演作で、彼女の役は、なんと病気の孫の治療費を工面するために、手コキ専門の風俗店で働くことになる老婦人の役。
彼女は、この役でヨーロッパの映画賞の主演女優賞にノミネートされています。

だいぶ太めになって、しわも増えたマリアンヌ・フェイスフルでしたが、若い時のスッタモンダが、いい感じで女優としての肥やしにはなっていたようで、なかなか味のある役者になっていました。

美人で鳴らした女優ほど、歳をとることにはジタバタとしてしまうものです。
なかなか自分の年齢を受け入れられずに、厚化粧をしわに擦り込んでは、いつまでも「美人女優」にしがみつこうとしてしまうもの。
大抵は、それで逆に墓穴を掘ってしまいます。
上手に歳を取れる女優は、案外多くありません。

しかしこの時、61歳の彼女は、自分の人生を丸っと受け止めたような自然体。
それなりの年輪も感じさせて、なかなか「いい顔」をしていて、ちょっとホッとしてしまいました。

さすがに、黒のジャンプスーツは着れなそうですが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?