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いまさらエヴァンゲリオン


務めていた会社の出先事務所が、江東区青海にありました。
担当がシステム管理だったので、呼ばれると出かけることになります。
事務所に向かう途中に、コンベンション・ホール東京ビックサイトがあるのですが、何か面白そうなイベントがあると立ち寄ったりしていました。
ある時、やっていたのがコスプレのイベント。
人気アニメのヒーロー、ヒロインのコスプレに身を包んだコスプレイヤーたちの熱気がムンムンの会場。
「うる星やつら」のラムちゃんだとか、セーラー・ムーン、ルパン三世あたりは、かろうじてわかりましたが、やはりアニメ音痴のオジサンには、目が点になりっぱなしの異次元ワールド。圧倒されました。
人気キャラのブースの前では、カメラ小僧たちが、きちんと行列をして、順番に撮影をさせてもらっています。
中でも、圧倒的に人気だったのが綾波レイ。
そのヒロインが、なんのアニメに登場するキャラなのかも、当時の僕は知るよしもなかったのですが、コスプレしている女の子も、かなりのナイスバディの美人だったこともあり、撮影者の眼は爛々と輝いていました。
手には一応、デジカメを持っていたのですが、さすがにその行列に並ぶ勇気はなかったので、資料写真にと、遠くからパチパチしていました。
するとしばらくして、会場のスタッフらしき青年に肩を叩かれんですね。
「なにか?」
「すいません。撮影するには、モデルさんのエクスキューズが必要です。勝手に撮るのはルール違反です。」
なるほど。
それで、彼らはきちんと整列をしているわけです。
謝って、その場を立ち去ろうとしたら、青年は尚も続けます。
「すいません。そのデジカメで、今撮った写真見せてもらっていいですか?」
「は?」
「すいません。変な写真を撮っていないか確認させてください。」
これには、参りました。
スタッフは、こちらを変質者でも見るような目つきになっています。
仕方がないので、ブースで撮った数枚を見せたのですが、その中の一枚に、首から下だけしか撮れていない写真があって、冷や汗ダラリ。
「すいません。これ削除してもらっていいですか。」
「いや、これはちょっと手元が狂って・・」
彼が削除を求めたのは、その一枚だけだったのですが、パニック状態になってしまったこちらは、その日事務所で撮ってきた会社の資料も含めて、思わず全削除。
「これでいいのかな。」
「はい、一応ルールなんで。失礼しました。」
バツが悪かったり、カッコ悪かったりで、一目散に、会場を後にしたのはいうまでもありません。
この事件で、「綾波レイ」というアニメ・ヒロインの名前だけは、しっかりとオジサンの脳裏に刻み込まれましたね。

さて、劇場版の「エヴァンゲリオン」の4部作のうちの3作を、Amazon プライムで、一気に鑑賞しました。

「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」「:破」「:Q」の3作ですね。
ちょうど今年、完結編となる4作目が公開されたばかりですが、それは未見です。
強者ファンたちは、この3作を数回は繰り返し見た上で完結編に臨んでいるようで、この「新劇場版」をサラリと一回ずつ見たくらいで、偉そうなことを書くのもちょっと気が引けますので、そこは謙虚に参ります。

白状しておきますと、世界に冠たる日本のアニメ文化には、個人的には、完全に乗り遅れています。
監督の庵野秀明氏とは、ほぼ同年代で、「ウルトラマン」や「サンダーバード」に胸ときめかせた辺りまでは、同じ道を歩んでいますが、監督はその後も、「宇宙戦艦ヤマト」「機動戦士ガンダム」などのSFアニメの王道の洗礼を受け、クリエイターへの道を歩み、1995年に、テレビアニメ版の「新世紀エヴァンゲリオン」に着手することになります。
しかし、こちらは途中から映画へと関心が移っていき、アニメからは完全に距離を置くようになります。
日本のアニメ映画史に偉大な足跡を残すスタジオ・ジブリの作品群も、実はまともに見ている作品は一本もありません。
かなり意識して、和製アニメを避けてきたと言えますね。
日本の映画興行は、ある時期から、邦画の年間興行収入ランキング・ベストテンの半数近くが、アニメ作品で占められるという事態になってきました。
映画ファンとしては、なんだか、この状況が気に入らないんですね。
一般映画はどうした。日本ではアニメ作品に勝てる映画は作れないのか。
往年の日本映画の傑作群を見まくってきたものとしては、アニメ映画でしか客を呼べない日本映画の状況に不満タラタラだったわけです。
しかし、政治、経済、教育、エンタメと、あらゆるものが落ち目になってくる日本の中にあって、いまだに世界からのリスペクトを受け続けているのは、気がつけばアニメ文化くらいしかなくなっていました。
この孤軍奮闘の我が国のエース産業に、いつまでも背を向けているのも大人気ないと思い始めたのは、一昨年定年退職をしたあたりから。
先日は、「鬼滅の刃」のテレビ放映版を、Amazon プライムで一気に見たばかりです。
いつかは見ようと思って、録画だけはしてあったアニメ作品もかなりありますので、雨で野良仕事ができないような日には、ぼちぼちと見ていきたいと思っています。

さて、エバンゲリオンです。

新劇場版の三作を見た上で感じた、僕の知る今までのSFアニメにはない、本作の魅力はおおよそ以下の三つ。

主人公のキャラ設定。
圧倒的なメカ描写。
エロ要素。

まずは、主人公の魅力です。

このシリーズの主人公碇シンジは、14歳の少年です。
僕が知る限りの、かつてのロボットアニメの主人公たちとはかなり違うタイプの、リアルな中学生です。
アニメの主人公としては、相当屈折したキャラとして描かれており、ちょうどこの年頃だったファンのナイーヴな感性を思い切り鷲掴みにしたのは想像に固くありません。
主人公の苦悩を、ファンたちがみんな大なり小なり共有していたことが、このシリーズのコアなファンを生み出してきた最大の要因に思えます。
鉄人28号の操縦者・金田正太郎も、ジャイアント・ロボの操縦者・草間大作も、マジンガーZの操縦者・兜甲児も、熱血感ではありますが、ある意味では、みんなノーテンキな正義平和オタク。
悪を倒すことだけに、生き甲斐を感じられるという、アニメ世界でしか生きられないキャラクターばかりです。
しかし、エヴァの主人公碇シンジは、父親の命令で、いやいやエヴァに搭乗させられるという設定。
命の危険にもさらされ、友人たちも失なっていくという使徒との戦いの中でひたすら苦悩します。
苦悩するヒーローというと、アメコミの「スパイダーマン」をすぐに思い出されます。
もちろん、アメコミは読んでいませんが、日本では、これを翻案した池上遼一作画による日本版「スパイダーマン」が、月刊少年マガジンに連載されていて、これは欠かさずに読んでいました。
苦悩する主人公のその暗さ、救いのなさは、明らかに当時の世相も反映していましたが、その他のヒーロー・コミックとは、明らかに一線を画していて強烈に印象に残っていましたね。
14歳といえば、大人と子供の狭間で、強烈に揺れ動く時期。
もはや、ありきたりの勧善懲悪ヒーローモノでは納得できなくなっている年頃です。
自意識過剰になり、性欲も目覚め、自己中心的な空想や思考に没入しがちな何かと危うい年頃が14歳。いわゆる「中二病」の年齢です。
1995年の最初のオンエアでは、このアニメはそれほど評判にはなりませんでした。
夕方の6時の放送でしたから、まだ健全なヒーローアニメが求められた時間帯だったかもしれません。
しかし、このアニメが、深夜の時間枠で再放送されたことで、一気にブームに火がつきます。
僕自身も、14才の頃は、ラジオの深夜放送にかじりいていましたので、これは理解できます。
深夜に悶々としていた、日本中の「14歳」たちが、一斉にこのアニメに飛びついてから、エヴァンゲリオンは、以後26年に渡って、日本アニメを牽引するビッグ・コンテンツとして、始動しはじめるわけです。
エヴァンゲリオンに搭乗するのは、全て14歳の親の愛情を知らない少年少女たち。
この設定の必然性を、この3作のアニメからは導き出せませんでしたが(わかっている人がいたら教えて)、碇シンジの登場するエヴァ初号機だけは、製作段階で、シンジの母親ゆいが体内に取り込まれてしまっているということで、ネルフ司令官であるシンジの父親・碇ゲンドウが、息子を呼び寄せて搭乗させたという経緯があり、シンジが初号機に乗るという必然性は納得。
もっとも、鉄人28号の主人公・金田正太郎も、今から思えば、10歳から12歳くらいの少年でした。
その少年が、大人たちに混じって、拳銃を持ち、半ズボンにネクタイで、鉄人をリモコンで操って活躍する姿を、なんの違和感もなく見ていました。
主人公を、視聴者の平均年齢に合わせて設定するというのは、ある意味では、ヒットアニメにおける不文律かもしれません。
いずれにしても、「14歳」というキーワードは、本作を語る上で、重要な意味がある気がします。
1990年代に、このアニメに触れた「14歳」たちが、2021年になって、すでに40代の大人になっているにもかかわらず、最新作を見に、嬉々として映画館に足を運んでいる姿を見れば、それは容易に理解できます。
14歳の感性を感動させたコンテンツは、その人の一生を左右するインパクトを与えると思われます。

もう一つは、その圧倒的なメカ描写です。

これは女子たちには理解に苦しむところかもしれないけれど、男子は総じてメタリックなメカに幼少期から強い関心を示す生き物です。
若いうちから、車やバイクに興味を示すのは、やはり圧倒的に男子。
日本を代表するカルト映画に、塚本晋也監督の「鉄男」があります。
カフカの「変身」よろしく、自分の体が、次第に鉄に同化していくという不条理を、圧倒的なビジュアルで描いた作品。
ここまで、病的ではないまでも、男子には、多かれ少なかれ、メタリック・フェチのDNAが埋め込まれているような気がします。
このニーズに応え続けてきたのが、車やバイク以外では、基本的には漫画やテレビ・アニメの「ロボット」モノでした。
少年期にハマっていたテレビアニメの「鉄人28号」の魅力は、なんといってもそのメタリック感。
ロボット・アニメの双璧とも言える「鉄腕アトム」は、未来のロボットで、かなりディズニー寄りのファンタジー系ロボット。
自分で知能を持ち、表情をもち、喋れるのに対して、我らが「鉄人28号」は、「敵も味方もリモコン次第」で、金田正太郎少年からのリモコン指示がなければ一切動きません。
個人的には、このメタリック・フェチを大いに刺激してくれたのは、イギリス製作の特撮テレビ番組「サンダーバード」です。
スーパー・マリオネーションによる人形劇でしたが、サンダーバード1号から、5号に至る
スーパーメカのメタリック感には痺れました。
特に、サンダーバード2号に搭載される数々のメカは魅力的。
そして、その発進までの精密描写も、毎回同じシーンを見せられているにもかかわらず、ワクワクさせられっぱなしでした。
巨大なメカをこちらの意思で操縦すると言うことの快感は、これも男子のDNAの中には基本的に埋め込まれているような気がします。
僕は、30年間運送会社に勤めていましたが、運転手たちの多くは、みんな大型車両に乗りたがりました。
これも給料をアップしたいという現実問題だけではなく、「より大きな車両を動かしたい」という本能的欲求が、ベースにはあると睨んでいます。
エヴァンゲリオンを、メカと言ってしまうと、ファンには怒られてしまうかもしれません。
正式には、エヴァは汎用人型決戦兵器。
ロボットではなく、操縦者たちと神経を連結させることによる作動する、よりバイオチックな巨大人造人間です。
このあたりには、SFアニメと並行して、「ウルトラマン」シリーズも愛した庵野監督の、嗜好が大いに反映されています。
しかし、第三東京市の重量感あふれる防御攻撃システム、使徒とのバトルにおいては、未来的で、圧倒的なメタリック感が爆発。
庵野監督は、戦車やミサイルなどには極限のリアリティを追求していたようで、軍事関係の資料には熱心に目を通したり、一時期は、自衛隊に体験入隊をしていたこともあったそうです。
ですから、未来メカのデザインや描写には、庵野監督ならではのこだわりが満載で、これが
このシリーズの最大の魅力になっていることは間違いないようです。

そして、最後の三つ目。

エロ要素。

これは実に巧みです。
「許されるギリギリ」の線を、逸脱しないんですね。
「キューティ・ハニー」や「うる星やつら」のように、お色気をメインに前面に出すような演出は皆無。
どのシーンも、さりげないくせにドキッとさせるような演出になっています。
これが、14歳ごころを、上手にくすぐるのだと思われます。
碇シンジは、29歳の葛城ミサトと同居することになるのですが、間近にみる女盛りの女性の日常生活にドキマギさせられる様子が、決していやらしくなくコメディ・タッチで描かれています。
ヒロインの綾波レイとの関係も、実にプラトニックの極地。
作中では、手も握らなければ、キス・シーンもありません。(完結編は不明)
互いに「ポカポカ」する以上のことはないストイックな関係です。
これがベースにあるので、綾波のヌード・シーンが描かれていても、決してエロティックにはなることはありません。
アスカ・ラングレーも、「破」から登場する新キャラのマリ・イラストリアスも、14歳の少女らしい、健康的なお色気で貢献しています。
これは、「サイボーグ009」の紅一点003にも、「レインボー戦隊ロビン」の紅一点ナースロボットのリリーにも、与えられなかったキャラ設定です。
アニメでよくありがちな、可愛い顔に似つかわしくない巨乳というスタイルのキャラも登場することはなく、登場する女性たちは、みんなその年齢なりの抑えたプロポーション。
決して、峰不二子のようなフェロモンぷんぷんキャラは登場しません。
この辺りには、安野監督なりの計算とこだわりが反映されているようです。
非現実的で、未来感あふれる使徒との戦闘シーンとパラレルで描写される14歳の少年少女たちのリアルで等身大の内面描写。
この両局が一つのアニメの中に同時に収められている絶妙なバランス感覚が、エヴァンゲリオンの大きな魅力かもしれません。
庵野監督のキャリアの中にちょっと異色の作品があります。
「監督失格」というAV女優とそれを撮る監督の現実を追ったドキュメンタリー映画のプロデュースですね。
女優と監督は実際に不倫関係にあり、映画に描かれるのは、女優が34歳にして死ぬまでの、決して美しくはない日常。
主題歌を矢野顕子が担当しており、AV作品ではなく、純然たるドキュメント作品として評価されている作品です。
庵野氏がどういう経緯で、この作品のプロデュースを引き受けたのかは知りませんが、エヴァンゲリオンで知られる特撮アニメの巨匠の意外な側面が垣間見れて興味のあるところ。
まだこの作品は見ていませんが、エヴァの中の、お色気パートに通じる共通点が見つけられたら面白いかもしれません。

ヒロインの綾波レイを、いまだに理想の女性像に掲げて臆面もないダイの大人たちは、僕の周りにもかなりいます。
Ayanamirei をそのままメールのアカウントにしているような人も知っています。
僕が小学校5年の時に天地真理の大ファンだったことは、中学生の時には、すでに黒歴史として封印していたことから考えれば、その堂々たるファンぷりは、感心するのを通り越して、羨ましくもあります。
東京ビックサイトの「エヴァンゲリオン」のブースで、綾波レイのコスプレーヤーに、必死で、ポーズを注文していたカメラ少年たちの熱い視線を思い出します。
今その彼らに声をかけられるとしたら、こういうのかもしれません。

「なるほど。そういうことでしたか。」

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