7/16 2024

悩んでることがあるとする。どうして私に彼女がいないのか、というような誰も挑まない人類最大の難問でもいいし、今日の晩ご飯はカレーにしようかしらということでもいい。

悩みを解決することに悩むことは必要なのだろうか。

バイトが終わって小腹が空いた。最寄りの赤い看板の店に行き、タブレットで注文する。この時に、並盛りにするか、大盛りにするか、特盛にするかで悩んでもいい。

並に生卵をつけるという塩梅で注文し、食べたら満足したのでこの選択は間違ってなかったとして、果たしてそうなのか。

大盛りに豚汁をつけるのでもよかったのではないか、或いは特盛に生卵二つでもよかったのではないか、更に或いはもはや牛丼ではなく、鶏そぼろ丼という邪道を選んでもよかったのではないか、そうしたことで、より満足はできたのではないか。

様々な悩み方がある。ラーメン屋に行けばよかったと思ってもいいし、コンビニに行っても、それはそれで豊富な選択肢に迷うこともあるだろうけれど、まあ最悪食わずに寝るでもよかった。

様々な選択肢がある。自分がどうしたいかなんて、魑魅魍魎、これを選びなさいという作為に塗れた、雑多な選択の妖怪を前にして、震えるしかないこともある。

どう転んでも、何を選んでも私以外には有り得ない。悩んだ結果、悩みを経た結果としての私がある。それを受け入れるしかないのなら、悩みは有用でも無用でもどちらでもよい。どちらでもよいのか、と悩むこともまたよい。

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