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センス・オブ・ワンダー

「自分の子どもに自然のことを教えるなんて、どうしたらできるというのでしょう。わたしは、そこにいる鳥の名前すら知らないのに!」

レイチェル・カーソン「センス・オブ・ワンダー」

センス・オブ・ワンダーという言葉をご存知だろうか。知っているという人はSF小説の論評などで目にしたことが多いかもしれない。SF小説を評する上でかなり上位に食い込む褒め言葉がこれではないだろうか。
言葉でうまく説明できない感覚のようで、僕もうまい説明に出会ったことがないのだけど、うろ覚えの説明を辿れば、「今まで当たり前だと思っていたものが、(小説を読んだ後には)全く違うものに見える」というものだったと思う。
SF小説でよく評される、とは言ったが、この文脈で一番わかりやすい例は、ホラー映画を見た夜、トイレに行こうとしたら暗闇から誰かが見ている気がする・・・というのが、一番身近なセンス・オブ・ワンダーではないだろうか。

この、よく分からないセンス・オブ・ワンダーとはなんぞやというのをググったりすると、この言葉の初出がこの本だ、ということを知ることができる。

レイチェル・カーソン著、その名もずばり『センス・オブ・ワンダー』だ。

レイチェル・カーソンはアメリカの魚類・野生生物局に務めながらペンを取っていたベストセラー作家であり、海洋学者である。
有名な作品は『沈黙の春』という本で、人や家畜に無害とされた殺虫剤「DDT」が実は有害で、環境や生物を汚染していた、という事実を告発し、世界中で地球環境への意識を変えるきっかけとなった。この本は後に、

「歴史を変えることができた数少ない本の一冊」と称されることになる

上遠恵子「センス・オブ・ワンダー」訳者あとがきより

ガンに侵され、余命いくばくもない彼女が最後に遺した、いや遺したかった本がこの『センス・オブ・ワンダー』だ。
ただしこの本で用いられる言葉の意味は、上述したSF小説の褒め言葉ではなく、訳者、上遠恵子の訳すに、「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」である。言葉の意味をそのまま考えると、こちらのほうが合っていると思う。

この本で作者のレイチェル・カーソンは、姪の子ども(作中では甥と記されている)ロジャーと森の中を歩き、雨に濡れるシダ類の美しさに喜び、まっ暗な嵐の夜、大き波飛沫を浴びながらいっしょに笑い声をあげたりしている様を紹介している。自然という「驚き」と「感激」にみちあふれたものを、そのままに受け止め、そして心を震わせられる感性。それこそが彼女がロジャーに、そして世界中の子どもたちに、生涯消えることのない感性であれと願う、「センス・オブ・ワンダー」なのだ。

この感覚はそれほど希少なものではないだろう。自分が子どもだった頃を振り返ると、確かにあの頃持っていた、と感じる人も多いのではないだろうか。希少だと感じるのは、大人になった今では自分の中から失われてしまったと感じているからだろう。本の中では、多くの親が、熱心で繊細な子どもの好奇心に触れるたびに、さまざまな生きものたちが住む自然について自分が何も知らないことに負い目を感じているという。子どもに対してだけではなく、例えば登山に行っても、「あれはダケカンバ」、「これはニッコウキスゲ」など、たくさんの花や鳥の名前を知っている人を見つけると、何も知らない(知ろうとしない)自分に負い目を感じるものだ。
とはいえ、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと著者は信じている。質問に対して「答え」を用意するだけが大人の役割ではない。一緒に悩むということも「答え」の一つなのだろう。

現代社会では自然は遠い。都市部ではなおさらだろう。けれど、深い森も荒れ狂う海も、必ずしも必要というわけではない。耳をすませば、家のひさしや、アパートの角でヒューヒューという風のコーラスを聞くことができるし、雨の日に外に出れば、顔を打つ雨に、海から空、地上へと姿を変えていく水の旅路に思いを巡らせることができる。台所の窓辺の小さな植木鉢でさえ、その中のたった一粒の種子さえも、芽をだし成長していく植物の神秘について考える機会をあたえてくれる。
事実をうのみにさせるよりも、子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうが大切だと著者はいう。すなわち、一緒に風の音に耳をすまし、雨の日は一緒に雨に打たれ、そして小さな植木鉢を一緒に覗き込むことだ。そうして育まれた感性、センス・オブ・ワンダーは、やがて訪れる大人の倦怠と幻滅、自然から遠ざかること、人工的なものに夢中になりすぎてしまうことへの、変わらぬ解毒剤となる。

本の完成を待たずに彼女は56歳で亡くなった。この本は、友人たちが原稿を整え、写真を用意し、彼女の死の翌年、一冊の本にして出版したものだ。
『沈黙の春』で人による環境への汚染を告発した彼女が、最後に遺したかったものは、環境に無関心な人への警鐘でも批判でもなく、子どもがもつ純粋な感性が、どうかいつまでも、(誰にでも)あり続けるように、という願いだった。
それが『センス・オブ・ワンダー』。
どうか夜、目を閉じ眠りにつく時。耳をすましてみてほしい。



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