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陰翳礼讃 美しいということ

インテリアにおいてテレビの存在感は大きい。あの黒く光沢のあるザ・家電製品といった趣の物体は、一気に部屋の生活感を高めてしまう。取り払うと急に部屋の落ち着きが増す。今日び、ニュースはネットでも見られるし、バラエティだってスマホのアプリで見ることができる。朝のニュースは大人に必要と言っても、朝っぱらから事故だの火事だの心無い人の横柄な行動だので溢れていては、心が参ってしまう。東京のコロナ感染者が何人だろうと、個人で行うべき行動は変わらないし、他のニュースにしたって一ヶ月後も覚えているような大事なニュースが一体どのくらいあるだろうか。すぐ捨てろとは言わないけれど、必要かどうかを自分に尋ねて、無くてもいいなと思えるのであれば、一度コンセントを抜いて隠してしまうのもどうだろうか。

ちなみにニュースというものは衝撃的で、その日の話題となって、そして頭を使わなくてもいいようなものを集めているなんて話もある。
誰かが亡くなった。誰かが怪我した。誰かが酷いことをした。当人や身近な人にとっては大事なことだけど、言い方は悪いが赤の他人である自分が毎日浴びるように見るべき情報ではない。触れてしまえば気持ちが沈みもするし、傷つきもする。
毎日のニュースではなく、1週間の出来事をまとめてニュースレターを配信してくれるサービスもあるので、色々探してみるのも良いかと思う。

家電自体もそうだけど、電源コードというものはどうにも部屋の収まりが悪い。奴らはすぐ絡まるし、見栄えも悪い。便利ではあるのだけれど、コードが増えるのが嫌で使わなくなってしまったものもいくつかある。AirPodsやAppleWatchや超音波歯ブラシなどだ。自分の生活をより良いものにしようとすることは、資本主義としては大事なのだろうけど、去年もどっこい生きてきたのだ。同じでいいじゃないかと最近は自分に言い聞かせている。

文明の利器をいかに自分の家に、生活に調和させるかを苦心する人は、今も昔もいる。
昭和8年に書かれた谷崎潤一郎の随筆、陰翳礼讃は、伝統的な日本家屋に水道、瓦斯《ガス》そして電気を何とかして調和させようと工夫する話から始まる。
今ではノスタルジックにさえ思えるタイル張りの洗面所やトイレ、丸い石油ストーブなども谷崎や当時の文化人にとってはどうにも居心地の悪いもののようだ。とはいえ文明の利器を否定し家人に不便を強いるのは主人の独りよがりとは谷崎も言っているので、抗いがたい時代の流れだとは受け止めているのだろう。

谷崎の語る日本の文化と西洋の文化では、考え方がかなり違う。
美意識という言い方がふさわしいように思えるけれど、西洋の文明が光の文化ならば、日本の文化は影の文化、陰影の文化となる。
天井から吊るされた巨大なランプが一つあれば事足りるホテルのロビーに、4つも5つも吊るしている様は、まるで隅っこの暗がりや椅子の影ですら消し去ろうとしているようだと描写している。

一つの影なく室内を照らし、トイレなどの不浄の場にもタイルを敷き詰めて徹底的に清潔にし、日常的に使う銀の食器もピカピカに磨き上げるし、飾り立てる宝石は透き通るものこそを美しいとする。
明るいもの、清潔なもの、磨き上げられたもの、それらをこそ美しいのだという価値観は、いまや一般的なものだろう。

その一方で、それとは真逆のものを美しいという価値感が陰翳礼讃では謳われている。
家屋に巨大な屋根を乗せ、張り出した庇が屋内に暗い影を作る。長く伸びた西日の光さえ障子紙で弱らせ室内に招く。そうして不必要なものを暗がりに隠し、薄らと差す明かりにきらめく螺鈿や金の模様を美しいとする。玉《ぎょく》と呼ばれる宝石は濁っているが、それこそに年月や積み重ねてきたものを写し、尊ぶ。
そして手にした器もピカピカに磨き上げるなどは無粋とされ、手の脂でうっすら曇ったものを「なれ」てきたと喜ぶのだ。
歴史ある金屏風や螺鈿飾りの漆器などは今も博物館でも見られるが、明るい室内の中、スポットライトを浴びたそれらを鑑賞し、美しさを論じる現代の僕達を、谷崎は滑稽に思っているかもしれない。

侘び寂びも同じように逆を行っている。
Wikipediaからの引用で恐縮だが、侘びは不足の美しさ、寂びは年月を経て風化していくものに対しての美しさだそうだ。
一息に侘び寂びというと、京都あたりの古い寺院などを想像してしまうが、足りぬもの、朽ちていくものと言われると、僕などは冬の海沿いに放置されている、錆びてボロボロになった小屋などを想像してしまう。その様を美しいかと言われると即答しかねるが、その様を見て感じる感情自体も美しさの対象だ。朽ちていくものや完璧ではないもの、それを見たあなたの胸に湧き上がる侘しいという気持ち、寂しいという気持ち、その情念自体を、先人は美しいと捉えていた。

明るいもの、清潔なもの、磨き上げられたもの。これらは美意識だけではなく、生きる上での善いもの、価値観と言ってもいいかもしれない。
けれど、そうあり続けようとするのはとても苦しい。

それらだけが美しいのではない。価値があるのではない。そう知っておくのは大事だろう。
暗いもの、不浄なもの、濁ったもの、そして、朽ちていくもの、不十分なもの。
それこそが尊いもの。それこそが美しいものだとされた価値観が、何よりも僕達の足元から生まれていたということを知っておくのは、とても大事だろう。




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