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興亡の世界史⑤ コレジャナイ

共和制ローマが第2次ポエニ戦争でカルタゴを破り、イタリア半島外への征服活動を活発にしていた頃、ユーラシア大陸の東側では漢帝国が勃興していた。中国を統一したのは秦だが、統一後ほぼ1代で滅亡しため、次代の漢帝国が本格的な最初の統一帝国といってもよいのではなかろうか。漢はその後400年続き滅亡、有名な三国志の時代を経て五胡十六国という民族、国が入り乱れて争う時代に突入した。

漢帝国末期には、北部に遊牧民族が侵入してきており、これらが五胡と呼ばれる5民族だ。この五胡十六国時代は、最終的に、北に北周、北斉、南に陳、真ん中にポツンと梁という国にまとまる。北周、北斉という、いわゆる華北の国は血筋や文化などに五胡の影響を色濃く受けており、隋を興した楊堅、唐を興した李淵、共に五胡の一つである鮮卑に関連が深い。

その後、北周が北斉を滅ぼすが、北周の将軍、楊堅が皇帝に取って代わり、隋を興す。そして南の梁、陳を滅ぼして中国統一を成しえた。

中国を統一した隋だが、2代皇帝、煬帝の時代、各地に反乱が起こり、その中で李淵というものが一頭抜けて隋の首都長安を落とし、唐を建国する。後継者は長男であった李建成であったが、次男の李世民がクーデターを起こし皇帝となり、各地の反乱を鎮圧、再度の中国統一を成し遂げた。

そして唐の時代は中国文明の中でも黄金時代と言われる繁栄を見せる。

唐の首都、長安は国際都市と言われ、当時世界最大の人口を誇る大都市だった。アジア全土より様々な人々が訪れ、民衆の間でも異国文化がもてはやされた。三蔵法師もこの時代の人間で、インドより仏典を唐に持ち帰ったが、その折りに記した大唐西域記、大慈恩寺三蔵法師伝は当時の中央アジアを知る貴重な資料となっている。

紀元一千年紀のコスモポリタン、長安に多様な文化をもたらしていたのが、この本のもう一つの主人公であるシルクロード。そしてシルクロードを背景に交易を通じて様々な勢力、文化に顔をだすソグド人だ。

シルクロードは東の中国から西のローマまでをつなぐ東西の交易路とよく言われているが、「線」のような一本の通路ではなく、中央ユーラシアを網の目のようにめぐらした「面」の交易路だ。網の結び目にはそれぞれ都市が生まれ、また主要な都市のあるところに結び目が作られた。結び目から隣の結び目へと商品を運ぶ一生を過ごした商人もいれば、東の端の結び目から西の端の結び目まで旅した商人もいただろう。広大な距離を人と馬で運んでいくわけで、必然的に主要な荷は輸送費にコストがかかっても構わない奢侈品になる。そして通貨の代わりとして様々なところでやり取りされたのが「絹」というわけだ。

さて、ソグド人はそんなシルクロードの中央地を拠点とした部族だ。特定の国があったわけではないが、それぞれに都市国家のようなものを築いており、有名なものにサマルカンドがある。シルクロード中央の彼らの居留地をひとまとめにソグディアナ(ソグド人の土地)と読んでいる。「富むことを第一とする」と唐の人間も書いているが、彼らの都市には交易を通じて多大な財が溜め込まれていたようだ。また交易路といえど、本当に道があるわけではない。通りやすい場所を通り、道なき道を往くようなものなのだから、盗賊などに襲われることも多い。そのため、大人数かつ武装して交易路を行く必要があり、結果としてソグド人は有力な商人でもあり、また有力な傭兵としても中央アジア、そして中国にたいして影響を及ぼしていったのだ。

この本では唐、シルクロードと共に、双方と相互に影響しあう遊牧民族国家についても紙面が割かれている。王を亡くした妃が次の王に嫁ぐレヴィレート婚や、葬儀の際に哀悼の意を示すため自分の顔を傷つける哀悼儀礼など、自分の価値感に受け入れづらい文化が多いが、シルクロードの交易を通じて先進的な文化を獲得していた。王族の居住は絢爛豪華で、2千人が収容できるような巨大なテントは絹と金銀で飾られて訪れたものを圧倒したという。また彼ら遊牧民族を育んだのは中央ユーラシアを貫く天山山脈などの巨大な山脈、そこの山間にある盆地だった。標高2千mクラスに存在する盆地と聞くと、狭い、もしくは峻険な土地を想像するが、幅2百km以上の草原が数多に広がっていたというから凄い。

中国の歴史は遊牧民族との戦いの歴史であり、この時代には突厥という強大な帝国がモンゴル草原に存在していた。彼らは北周、北斉に対しても、一方を攻めたり、一方に加担したりなど武力により介入し、またそれにより両国から競うように貢物を得るなどしていた。ペルシア帝国やマケドニアが、気位の高いギリシアを手のひらで転がすようなものだ。もっとも、ギリシアはコロコロと転がされるままローマに征服されたが、中国についていうと、隋の時代、離間工作により突厥を東西に割ることに成功、なおも中国に強く干渉していた東突厥も、唐の2代皇帝太宗(クーデターを起こした李世民)により(一旦)滅ぼされている。遺された突厥の民は多くが唐に吸収され、将兵として高句麗などへ遠征に駆り出されたが、度々反旗を翻し、ついには再度、突厥として独立することに成功する。しかしパシュミル族、ウイグル族、カルルク族からなる同盟軍により滅ぼされ、最終的にウイグル族がモンゴル高原の勝者となった。

そしてこのウイグル帝国もまた唐の歴史に大きく関わってくる。ローマの五賢帝時代のように、唐にも後世に謳われる治世があった。反乱を鎮圧し突厥を打倒した2代皇帝太宗の貞観の治と、6代皇帝玄宗の開元の治だ。しかし寵姫として有名な楊貴妃を召し上げると政治を省みなくなり、権力争いの中、安禄山が反旗を翻し、唐の時代の曲がり角となる安史の乱が起こる。一時は首都を落とされ、玄宗は蜀への逃亡を余儀なくされたほどだったが、玄宗の息子、粛宗の要請により安禄山討伐に派兵したウイグル帝国のおかげもあって、滅びかけた唐は一度、命をつなぐことになる。

唐はこれ以降領地を大幅に縮小し、往時の勢いを無くし、各地の有力勢力が半ば独立するような状況となるが、それでも907年、朱全忠により滅ぼされるまで、100年以上も命脈を保ち続けるのだ。

安史の乱を経て唐の歴史は折り返し地点に入るのだが、本書ではこれ以降の唐についてほとんど語られない。それどころか、唐時代に花開いた仏教文化も、同時期の日本の在り方に多大な影響を与えた均田制、府兵制、租庸調制などの律令体制についても、字面で名称は触れられるが解説はない。則天武后による帝位の簒奪や、先に述べた貞観の治、開元の治についても記述はない。

著者によればシルクロードを主とする中央ユーラシアから見た唐を語るとあるが、どちらかというと唐をダシに著者の専門である中央ユーラシアと遊牧民国家を語るといった塩梅で、唐の歴史においても遊牧民、ソグド人と関わりのある事柄のみが語られ、それ以外についてはほとんど触れられていない。本書の終章は「唐帝国のたそがれ」というタイトルだが、それにおいてさえ、内容はウイグル帝国、チベット帝国に関するものが中心で、唐の話はほとんど出てこないのだ。

もっとも、著者は安史の乱以降の唐を自前で軍事力を保持する軍事国家から、財貨によって兵力を雇う財形国家に変貌したため、唐帝国とするべきではないと述べているため、後年の唐を語らないのも、本書タイトルの「シルクロードと唐帝国」というものから(著者のものさしでは)外れるものではないのかもしれない。

本書の序章では、西洋中心の価値観や資本主義への批判が並べられており、またその根幹が明治時代から続く脱亜入欧論と、それを支える高等教育の西洋史中心の世界史教育だと述べている。それゆえ本書の読者層を高校世界史教員とし、あとがきにおいて、西洋中心史観も中華主義思想も不要であり、日本を含めて世界中に見られる偏狭な民族主義や愛国主義とは訣別するべきであることを理解させる狙いが本書にはあったと記しているが、この「興亡の世界史 シルクロードと唐帝国」というタイトルを見て本書を手に取った人の中で、どれだけの人が著者の主張に共感し、これが読みたかったのだと喝采を上げるだろうか。著者の狙いにしても、実際に最後まで読んだ身としては、ただソグド人、遊牧民族国家への賞賛が西洋中心、中華中心の歴史観に取って変わっただけのように感じる。

当時の唐における湖(中央ユーラシアなどの中国から見た西域民族)の文化や、交易において重要な商品であった奴隷についての解説など、他の概説書にはない、興味深く読める箇所もありはしたが、全体として、取り上げる内容や意図に独りよがりなものを感じるのは否めない。他人の土俵で独り相撲をしている様を見ているようであるし、人気の居酒屋に行ったら隣のおっさんに絡まれて、聞きたくもない話を延々聞かされたかのようでもある。

主張に対しては頷ける部分も確かにあるのだが、少なくとも本書で論じてほしくはない。唐とシルクロードの話をしてほしい。

そんな元も子もない感想が、読後の正直なところだ。

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