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【短編小説】最期の日

僕は今日で、終わりを迎えることになる。

この街の桜は綺麗だけど、散り際がとても悲しい。

そんな言葉は、嫌になるほど、何回も聞いてきた。

でも、いざ自分が終わるとなって、やっと分かった。

散り際は、悲しいということを。

僕が住む街は、かつては活気があった。

人の笑い声が聞こえたり、悲しむ声が聞こえたり、人々の喜怒哀楽を感じることができた。

人が集まる場所には、色んな声が集まる。

「今度、花火見に行こうよ!」

「一緒にあそこで飲んだコーヒーが懐かしいね。」

「お付き合いはここでやめたいと思ってる。」

そんな、男女関係のドラマの一端を味わえる台詞が聞こえることがある。

かと思えば…

「うちの生命保険に入ることであなたは一生分の安心が持てる。」

「この商品を広めたらあなたはとても儲かるわ。」

「信仰することであなたは幸せになれるの。」

そんな、相手を信じ込ませようとする台詞も聞こえることもある。

人の声だけじゃない。ハイヒールで床が響く音、フォークが皿にあたって響く音、ストローで氷を混ぜる音。

音だけじゃない。人の汗の匂いだって、タバコの煙の匂いだって、漂うこともある。

そんな些細な音や匂いに、嫌な顔をしたくなることもあったけど、今は思い出すだけで愛おしく感じる。

でも、都会に人が集まるようになり、この街は寂れていった。

僕は人の声や音、匂いを食べていくうちに、気づけば体がボロボロになっていた。

だけど、僕にはずっと、寄り添ってくれた女性がいた。

その人は、今日までずっと、僕の体を拭いてくれた。

意思疎通なんてできないのに、僕に話しかけてくれることもあった。

いまはただ、その人に感謝を伝えたい。

伝えられないけど、伝えたい。

もう、僕は最期だ。だから、心の中で叫ぼう。

(今までありがとう、さよなら!)

私は喫茶店をずっと経営して、生きてきた。

私の父親が遺した喫茶店だ。

私に物心が宿った頃には、親という親は父しか知らなかった。

ずっと父のことは嫌いだった。でも、このお店はとても好きだった。

私は大学を卒業後、このお店を継ぐことを考えていた。

だけど、父は早くに死んでしまい、大学の卒業はかなわず、このお店を継いだ。

タイミングが悪すぎる。やっぱり父は嫌いだ。

でも、喫茶店を経営してまもなく、父はこの街の雰囲気を守りたかったのだとわかった。

父は嫌いだけど、父が大事にしてきたものは好きだし、守りたい。

その一心で、ずっと喫茶店を経営してきた。

だけど、喫茶店とともに生きていくには、もうこの街に人が居なさすぎる。

父も私も大事にしてきた、この街と決別する時がきたと思った。

そして、今日はこの喫茶店が最期の日。私はこの街から旅立つ日。

私は喫茶店のほうを向いて、一礼した。そして、喫茶店を背に歩き始めた。

この年になってから、新しい街で住むのは不安がいっぱいだ。

踏み慣れたこの街の地を、噛み締めるようにゆっくりと歩いていると、私の後ろから声が聞こえた気がした。

「今までありがとう、さよなら!」

後ろを振り向いても、寂れたこの街に不意に叫ぶ人なんているわけもなく、そこには壊れかけの喫茶店しかなかった。

私は郷愁を感じて、かつての賑わっていた街並みを思い出した。

ふふっ。

なぜだか、笑顔が溢れる。それと同時に、目から涙が溢れる。

「私こそ、ありがとう!」

誰に話しかけるわけでもなく、私はそう叫んだ。

風が吹き、この街に桜の花びらが舞い散った。

明日もまた、強く生きていこうと思った。


【あとがき】

私が住む近くのお気に入りの喫茶店が、閉店することになりました。

閉店になると聞き、私はその喫茶店のカウンター席に座りながら、複雑な気持ちを感じていました。

この複雑な気持ちはなんなのだろう…と考えつつ、筆を走らせたというのが、この短編小説となります。

終わりは悲しい。だけど、新たな始まりの予感もする。

そんな気持ちが、コーヒーの香ばしい匂いとともに、私の心を駆け巡っていったような気がします。

さて、最後に告知になりますが、「眠れない夜に寝ながら聴ける」ことをコンセプトとしたYouTubeラジオをはじめました。

先日、第5夜となるラジオをアップしましたので、気になる方はぜひ、ご視聴いただければと思います。

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