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魔境『東京』で生き残るために

吾輩は猫を被るニンゲンである。名前はぽん乃助という。

目の前の席に座っていた人がおもむろに立ち上がった。

新生活に疲れていた私はそこに座ろうとしたら、隣の人から無助走のタックルを受けた。

隣を見たら、もうその人の姿はそこになく、気づけば目の前の席に座っていた。

嗚呼ああ、東京に帰ってきてしまった。

満員電車の中で、桜の散り際を窓から見ながら、私はそう思った。

東京で生きてきた私は昨年、仕事の関係で東京から離れることになり、今年の2月まで大阪に居た。

大阪だって大都会だ。けれど、東京よりは人の心に「余裕」なるものを感じる。

大阪の地域柄も影響しているのかもしれないが、休日であれば「電車の中で席を譲る」というシーンを見ることが多くあった。

けれど、東京ではそういうシーンを見るのは、色違いポケモンに遭遇するくらいレアだ。

私は、この3月に東京に戻ってきて、改めて思った。

たぶん、東京には物理的にも精神的にも隙間がない。人々の心には余裕が失われている。

みんなが、自分の場所を守るのに必死なんだ。まるで、満員電車で吊り革にしがみつくように。

私は、そんな魔境『東京』でどう生き残ればいいのか?

今日は心をえぐって、そのことについて、考えてみることにした。

「東京出身です」

そうすると大抵は、「シティーボーイじゃん」という声が返ってくる。

東京に住む人々は、きっと、豊かだと思われているのだろう。

けれど、そのイメージを覆すようなデータがある。

国土交通省(2021)によれば、「可処分所得(手取り収入)−基礎支出(家賃・食品・光熱水道費)」は全国42位だそうだ。

さらに言えば、「可処分所得−基礎支出−通勤時間の費用換算」では、全国最下位だそうだ。

つまり、東京はとてつもなく生活費が高いのだ。

世間では、山手線の一つ一つの駅前が世界の主要都市みたいにきらびやかだと言われる。

けれど、そんな都市の外観からは想像できない経済的な窮屈さが、この魔境『東京』には潜んでいるのだ。

しかし、東京では地域ごとの格差があり、桁外れな豪遊する者が集う港区なんて場所もある。

すなわち、東京で成功すれば大金持ちになれるチャンスもあるのだ。

だからこそ、夢を追って東京に来る人も絶えないわけである。ただ、その陰には、厳しい経済状況で生きている人もいるのが東京だ。

不景気であることが嘘のように、最近は若い女性がパパ活や売春で大金を稼ぎ、ホストに流れていくという新種の経済活動も見られている。

経済状況からしても、東京は混沌としていて、魔境そのものだ。

ちなみに、私は23区内出身であるものの、下町の空気感も強くて平均収入が低い地域で生まれた。これが、「シティーボーイ」と呼ばれることへの違和感か。

…と、つまらないお金の話はここまで。

あくまでお金の話を取り上げてみたが、東京は他府県からの流入が多いため、いろんな生まれ・育ちの人がそこら辺に混在している。

そのため、おのずと多様な文化と触れ合って生きていくことになるし、自分が生まれ育った街の変化も激しいので、「故郷」という概念がよく分からなくなる。

器用なニンゲンにとっては、混沌とした環境で生まれ育つことで、色んなものを吸収しながら社会に溶け込み、気づけばヒエラルキーの上位にいるのだろう。

だけど、私は不器用だ。

周りに合わせて「わかったフリ」をするのは出来るようになったが、どこか心の中で「どこか違う」が付きまとうのだ。

要は、厨二病の精神性を引きり続けているのだ。

「疑問を持つことは大事」と言われるけど、この魔境では、それは詭弁のように思う。

私の人生で出会ってきた人々、その数少ないサンプル数では、大企業に入り社会や組織への疑問は心の奥底に封印して、その枠の中で挑戦した奴が結局は出世している。(当然、例外はあるけれど)

都市化されすぎた東京で、今も昔も重要視されている「コミュ力」とは、物事に対する違和感に対する摂動を抑えて、周りを見ながらちょっとした個性を滲み出すことなのだろう。

そして、その我慢した鬱憤を晴らすために、利害のない薄っぺらいコミュニティが作られていくのだろう。

でも、そんな薄っぺらいコミュニティの中でも私は、誰かが晴らした鬱憤を請け負う側にいたように思う。

スマホを見ると、学生の時の仲間のグループラインがいくつかある。

誰かが東京から離れるときは、送別会が行われている。私も誘いを受けて、参加をしていた。

でも、昨年私が東京から離れる報告をしたときに、送別会が行われなかった。

この時ばかりは、私は本当に落胆した。正直言えば、この真実から目を覆いたくなることがあり、心にはもやがかかっている。

私はこの魔境で生きていくために、学生のときから社会人まで必死に自分を抑えて、試行錯誤していたつもりだった。

ただ、気づいてしまったんだ。

周りからは、それが「ズレている」ように見えていたのだと。

もっと言えば、「ニンゲン」だと見做みなされていなかったのだと。

私は、この魔境『東京』に馴染めず、フツウに生きていくことができなかったのだ。

それは、昨年3月のことだ。

転勤することになり、生まれ育った東京を離れて、大阪で暮らすことになった。

大阪には、知り合いが一人もいない。だから、辛いことがあっても誰にも頼れない。それはとても、怖いことであった。

ただ、宇宙に飛び出せば重力が変容するように、ニンゲンも生きる環境が変われば内面が変容するものなのだ。

東京というキャンパスで描いてきた私の絵は、人に見せられる代物ではない。しかも、その汚れきったキャンパスで、何かを描き直すことはもうできなかった。

けれど、新たな地で生きることで、真っ白なキャンパスでまた描き直すことができた。

私のような不器用なニンゲンは、失敗に失敗を重ねて生きてきた。だからこそ、人よりも臆病になり、新しい環境に行くのが怖くなる。

そんな私が、「転勤」という名の強制的な東京追放を受けたことが転機になった。

―何かを手放すのは怖くないことなんだ。

フツウは20代でも躊躇ためらわないことを、30代になってやっとできるようになったのだ。

キャリアでも迷いがあった私は、真っ白なキャンパスからまた描き直したいと思い、勢い余って東京の別の会社に転職した。

大阪にはたった1年しかいなかったけれど、仕事以外でも人間関係をつくることができ、送別会もしてくれたコミュニティもあった。

私の東京時代のことを思えば、人間関係の深さは、付き合いの時間の長さで決まるものではないのだと実感した。

そして、これは私が東京で失敗した悔しさから、大阪で積極的に動いた結果なのだと思う。

俗に言う、「他人は変えられないけど自分は変えられる」というやつだ。

私は、持っているものを一度手放すことで、こんな当たり前のことに今更気づけたわけである。

そんなこんなで、私は東京に舞い戻った。

いや、舞うというほど美しいものではなく、転職活動で東京の会社しか内定をもらえなかったからだ。

そして、話は冒頭に戻る。

隙間なくぎっしり詰められた人々。空席の奪い合い。奪えない者は眉間に皺を寄せながら我慢して立ち続ける。

電車が揺れ、体勢を崩して隣のオジサンに当たって、睨まれながら咆哮される。

気分は悪かったが、東京の掟に従って、完全無視をしてやり過ごすしかない。

まさに、満員電車の中は、魔境『東京』そのものだ。

ただ、これまでの私とは違う。なぜなら、東京以外を知っているからだ。

物理学では、あらゆる現象において、エネルギーの足し引きが±0になるという「エネルギー保存の法則」と呼ばれる原則がある。

これは、ニンゲンのストレス値にも同じことが言えると思っていた。

誰かが晴らした鬱憤は、誰かが請け負わなければいけない。その足し引きが±0になるように。

でもそれは、東京という狭い箱の中だけで生きてきたから、そんなふうに思っていたのだろう。

満員電車の中が苦しければ、外に出ればいい。今の私は、そう思えるようになったのだ。

ましてや他人への興味が薄い東京では、自分一人が枠の外に出たところで、誰も気にしないこともよく知っている。

別に、送別会に誘われなくたっていい。「ズレている」と思われたっていい。「ニンゲン」だと見做みなされなくたっていい。

周りの目が気になったら、必殺技「よそはよそ、うちはうち」を、かましてやればいい。

折角せっかく、また東京に来たんだ。

映画館、劇場、博物館、美術館…etc。連日連夜賑やかな東京に来たんだから、そうした文化に触れまくって、白紙に戻ったキャンパスに一から描き直そうじゃないか。

この魔境で生活し始めてから、早くも1ヶ月が経とうとしている。

アラサーかどうかの境界の年齢であり、正直言えば、新しい環境に馴染むのには苦しいと感じることのほうが多い。

結局、桜を満喫することもできないまま、今日に至る。

不安でうまく寝付けない日だってある。

だけど、私は箱の中で死を待つのではなく、箱の外に出ることを選択するシュレーディンガーの猫でありたい。

その思いを胸に私は、明日の朝もまた襲ってくる憂鬱な気持ちを乗り越えようと意気込むのであった。

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