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SUKEの「心のお引越し」 第41回


独創性の生まれ方

理由あって様々な生成AIに触れる中で、AIを使って制作をすることでその独創性やコンセプトが薄くなってしまうのではないかという不安に襲われます。
感覚的な表現で言うと「作品が薄っぺらくなってしまうのでは」という不安

逆を返せば
「アイデアはあるが自分が形に出来ないものをAIに形にしてもらっている」と考えることも出来ます。

例えばTouchDesignerを触っていて、Pythonでコードを打つ必要性が出てきたとき、自分には出来ないからAIに助けを求めてコードを書いてもらうことが出来ます(精度は置いといて)
こういった部分的にアシストしてもらえることがAIの大きなメリットです。

事実何か分からないことがあったらBingのMicrosoft Copilotで調べますし、アイデア出しの際に「◯◯の意味を持つ単語」を色々とみたいが思いつかない時にchatGPTに出してもらうことはよくあるケースです。

しかしナニからナニまでAIで作成する場合はどうなるのか。
作品のアイデアそのものは人間が考えたとして、その根幹をなすものをAIが作った場合は良いのだろうか。
この場合「その人の独創性が何も入っていない」という感じもしてしまう。

小説をゴーストライターに書かせていることに近いかもしれないし、生成する過程で色々な試行錯誤をしているので「AIアーティスト」という見方も出来て問題ないかもしれない。

「作れないものをAIの力で作ってもらう」
これは良くもあるし悪くもあって、特に自分のように出来ないことが多くてそれをAIを使って補完しようとする使い方だと独創性が失われることになってしまいかねない。

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