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6月6日、今日は私が一度終わった日

17年前の今日6月6日、私は出張先の現場でクレーンから落ちて死んだ。
とはいえ今こうして生きて記事を書いているのだから、結果的には死ななかった訳ですが、当時はこりゃ死んだ、と思ったし、仕事場には職員1名死亡との第一報が流れたとあとから聞きました。
鉄板を踏み抜いて落下するとき、今までの人生が走馬灯のように流れました。落下の時間なんてほんの一瞬のはずなのに、その一瞬の間に自分の人生の振り返りと自分の消えゆく命を惜しむ心、これから赴く死出の旅への不安と恐怖、もう会えなくなってしまうみんなに対する死ぬほどの寂しさ、本当にいろんなことを一瞬の間に同時並行で思考しました。

そうして最後に願った強い想いに魂を掛けて、暗闇に飲まれすべての感覚がなくなったあと「これが死」と感じたあと奇跡が起きました。
はっきりとした感覚を取り戻し、自分がまだ生きていることを自覚しました。もちろん無傷ではありません。第一・第二腰椎破裂骨折、第三腰椎圧迫骨折、両踵骨骨折の重症でした。
でも搬送された病院の集中治療室で言われたのです「どうみても脊髄損傷の半身不随状態の状況なのだけれど、これで足の感覚があるのは奇跡だ」と。
あとでレントゲン写真を見せてもらったら粉砕した骨片が明らかに脊髄に刺さっていて損傷しているようにしか見えませんでした。医師の先生は宝くじの一等賞が当たるかそれ以上の、まさに奇跡的な確率(宝くじは1000万分の一の確率なので)で生還したのです。

今も私は体のすべてを動かすことができるありがたい状態を享受しています。ですが、この日を堺に私の人生は明らかに変わりました。
職場の組織のなかの立ち位置も変わってしまい転落人生(笑)が始まりました。これが退職に至る遠因にもなっていると考えています。

しかし、後悔はしていません。もともとあのとき失っていたであろう命を生きながらえているだけでも儲けものです。そしてあのとき強く願った代償として掛けた魂は、どこに持っていかれても文句は言えないと思っています。
多分私は死んだら魂は地獄行き、それまではこの世で生きている限りは魂を掛けて「遊ぼう」と考えています。
今日はそんな私が人生の再スタートを切った日、命を掛けてというよりもそれこそ魂を掛けて「遊ぼう」という想いを噛みしめる日なのです。

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