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道草哲学

先日、熊本県に用事があって滞在していた。そのとき、福岡県の山奥にあるゲストハウスに行きたいなと思った。しかし、車など持っておらず足がなくて断念した。しかしながら、そのまま実家の愛知に帰るのはもったいないなと思った僕は、まだしっかりと回れていなかった長崎方面に道草してから帰ることにした。実家とは真逆の方面だが、行きたいと思ったから向かうことにした。

ところが面白いことに、長崎に向かう途中の佐賀のゲストハウスにて、自分と似たような分野に興味を持った人と出会い、話が盛り上がった。そして、その人と話す中で実はその人も僕が行きたいと思っていた福岡の山奥ゲストハウスに行きたいと思っていたことが判明した。そこで、これはチャンスだと思い、一緒に行こう!ということになった。結果的に、道草したことによって、自分の願っていたことが叶った。


人間ってちっぽけ。
幼い頃から自然と関わる中で自分のちっぽけさをよく感じていた。宇宙の壮大さを想像したり、動物とテレパシーで会話することで自分の存在のちっぽけさや自分一人の力なんて微々たるものだということを感じていた。それを知った時、自分の願いを叶えるのに、自分一人の力だけで歩むことを考えるよりも、如何にして偶然のチャンスを活かして自分の力以外の力を借りることができるのかが大事だと分かる。

そして、道草にはその偶然のチャンスにたくさん出会う機会が存在する。つまり、道草とは一見進んでいないように見えて、実はチャンスの宝庫に向かって歩んで行くことだ。

そこで大事になるのは、自分の「願い」を明確にしておくこと。こんなふうになったらいいな。そう思うことを自分なりに認識しておくこと。別にそれは一つでなくてもよい。むしろ、自分というちっぽけな存在の願いが実現することなど稀だ。複数個の願いを持っていて、1つでも叶えばラッキーだ。

でも、願いを持っておくことはとても重要だ。なぜならば、願いをしっかりと自分で把握していれば、チャンスが訪れたときにすぐにそのチャンスに食らいつくことができる可能性が高まるからだ。つまり、願いを自分で認識した状態で持っておくということは、チャンスに向かって飛びつく準備が1ステップでもできている状態である。

「願いを持って道草をする」
それはチャンスを活かす準備を整えた状態でチャンスの宝庫に飛び込むこと。ちっぽけな自分一人の力だけに頼らず、もっと大きな世界の力を借りるということ。


これからも、願いをもって道草していきます。

プロ道草と名乗ることにしたすかっち

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