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ホームレス生活をして感じたこと

砂浜で野宿していた夜中3時。ポツリポツリ。嫌な音がして目が覚めた。
雨だ。眠い目を擦りながら急いで起きる。昨夜は12時頃まで砂浜でzoomをしていたせいか、とてつもない眠気だ。

前日の天気予報では朝8時くらいまでは降らない予報だったのに。毎朝、5時にランニングする人がいてその人の足音で起きるから8時まで降らないなら、屋根のない砂浜で寝ても余裕だなんて思っていたのに。

屋根一つない砂浜で寝る僕にとって、雨は死活問題だ。雨が降りそうなときは予め屋根のある公園を調べてそこで寝るのだが、今回はどうしても朝日が見たい。だから屋根は捨てて、海から朝日を拝められる、半島東側の砂浜を選んだ。

ところが、今回はそれが裏目に出てしまったようだ。ダルいな。そう思いながらも、どこか楽しんでいる自分もいた。なんか分からないけど、今生きてるんだって感じた。

部屋で生活していたら雨が降っても気づかないことが多い。雨が降っても降らなくても、快適に寝ることができて、外を気にする必要がないから。でも、それって大自然からのメッセージをシャットアウトしているって感じたんだ。自然はいつも、自分の命が多くのものに支えられて今、存在していることを教えてくれる。

そしてふと思った。
「ぼくはなぜ今まで屋根という名の木材や金属を見つめながら眠りについていたのだろう。野宿をすれば、こんなに素敵な星空が待っているのに。」

野宿していたら雨に打たれる。でも、そのかわり星を眺めながら寝ることができる。人はいつから屋根のあるところで寝るようになったのだろう。ぼくたちの快適な生活が奪った「なにか」を夜空の星たちは教えてくれる。

家があるということ。屋根があるということ。明日が来るということ。僕たちの生活には、「当たり前」のようなことであふれている。でも、本当はそのどれをとっても当たり前なことなどなにもないはずだ。
ぼくたちは皆、「死ぬ」という当たり前を持ちながらも、安全で快適な日々の生活の中でその当たり前は無色になっていく。当たり前なものが多なればなるほどに、世界は無色になっていく。僕たちの快適な生活は、世界を無色に染めていった。だからこそ、色を取り戻すのだ。

当たり前を捨ててみるということは、無色になった世界に、再び色を見つけていくことだ。
太陽が昇る喜びは何色だろうか?屋根があって、雨の中でも寝ることができる幸せは何色だろうか?今この瞬間、生きている喜びは何色だろうか?

色だけではない。形だってあるはずだ。無色透明になったものは、その形すらもわからなくなる。あらゆるものを捨ててみること。それはあなたの世界に「彩」をもたらせてくれる。

僕がアフリカで出会った人々の世界は、「色」で溢れていた。皆、この世界の色を知っていた。味わっていた。彼らの暮らしの中には、モノは少なくても、多種多様な色が存在していた。彼らの生き方、文化には、世界を彩り豊かにするヒントがあるのだ。彼らの生き方は僕に、世界の彩を教えてくれた。


僕にとって定期的なホームレス生活は、家や屋根、そして夜空に輝く星たちに色や形を見つけさせてくれる大事なものなのだ。

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