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ミニマリズムの罠

ミニマリズムを断捨離するまで

 部屋を片付けられない人、その状態に嫌悪感を覚えている人は、断捨離やミニマリズムを福音のように感じたのではないかと思う。私もまさにその一人で、YouTubeで偶然見かけたしょぴん氏のチャンネルでミニマリストの存在を知ってからというもの、国内外のミニマリスト動画を片っ端からチェックした。そして見れば見るほど「俺にも出来る」という妙な自信が湧き、身の回りの物の処分を始めたものだった。

 片付けや収納といった「今あるものをどう収めるか」ではなく「そもそも持たない、捨てる」という感覚は一度会得すると病みつきになる。この感覚の恩恵は簡単にいえば「悩んだり考えたりする必要がなくなる」ということだ。「無駄な作業や検討を廃して本当に必要なことに集中する。そのほうが効率的だし、やりたいことだけに集中できる」と多くのミニマリストは唱える。これは全くそのとおりで、家庭でも職場でも通用する感覚だろう。
 しかし多くのミニマリスト動画を見るにつけ、心のなかにモヤモヤしたものが蓄積されていった。そしてある時期を境に、シンプルライフの参考になるチャンネル、興味深い試みを続けているチャンネルを除いて、ミニマリスト動画を一切見なくなった。妙な話だが、ミニマリスト動画を断捨離したということかもしれない。

ミニマリズム、2つの傾向

 YouTubeでミニマリスト動画を見ていると、2つの大きな傾向があることに気づく。ひとつはミニマリストというよりもシンプリスト(そのように自称している人もいる)が相応しい、理に適ったパターン。他方はとにかく捨てて最小限の持ち物で生活する修験者のごときパターンである。
 シンプリスト型のなかにも世間一般の感覚からみるとかなりハードな生活をしている人もいるが、そういった人はたいてい自身の趣味や日常生活を大切にしており、ただひたすら物を減らすといった雰囲気ではない。しかし修験者型になると話は変わってくる。たとえばこんな台詞だ。

「私は読書が好きなので、たくさん読みます。しかし読み終えた本は全て売却します。一度読んだ本を読み直すことはないし、どうしても読み直したければ買い直せばいい。本棚は”俺は読書家なんだ”という自己満足を得るものにすぎません。(要約)」

 このときユーチューバーが手にしていた10冊前後の本はすべて自己啓発本、ハウツー本だった。決してこれらの本が悪いのではないし、その時は偶然すべてその種の本だっただけなのかもしれない。ただ、特にハウツー本はブログのようなもので、ネットで見るか紙で見るかの違いしかない。
 ニッチな趣味の本や雑誌、画集や写真集、文学、歴史、芸術等々言い始めれば切りがないが、それらを本棚に置くことは、その周辺に置かれた同種の本と見えざるつながりを持たせることを意味する。本の配置には持ち主の思考が現れるのである。仮に著者やジャンルで完璧に整理されていなくとも、それは変わらない。そこへ必要に応じて手をのばす。書物は単なる紙の束ではないのだ。

「徹底的に物を捨て、無駄を排除することで、仕事やプライベートもうまくいくようになりました。収入も確実に上がりました。(要約)」

 きっとこの人は本当に努力したのだろう。収入が上がるのは素晴らしいことだ。部屋がきれいなことと人生の成功とは、おそらく一定の相関関係はあるのだろうと思う。しかし因果関係となると話は全く別である。「部屋をきれいにして落ち着ける環境を作り、今まで以上に仕事に打ち込んで収入を上げました」なら十分理解できるのだ。しかしこの人の説明からは後段が抜け落ちている。視聴者の心を掴むには話をシンプルにしなければならない事情もあるのかもしれないが、それでは数多ある自己啓発セミナーやマルチの口上と変わらない。
 嘘ではないが真実でもない話は世の中にたくさん転がっている。真実と捉える人からは批判を受けるだろうが、因果関係の証明に程遠いことは間違いない。こういった部分から胡散臭さを感じ取ってしまうのは私だけではあるまい。

「今日は祖母の家に生前整理に来ました。」

 生前整理とは、自分自身の死後を見据えた作業のことだ。お祖母様は施設に入っており、退所の見込みはないという。さすがに承諾を得たうえでの作業なのだろうし、もしかするとお祖母様はその判断すら困難な状態なのかもしれない。家族が片づけをする必要性もあるだろう。しかしインターネットを通じて全世界に「祖母の家に生前整理に来ました」とにこやかに言い放つ感覚が私には理解出来ない。合理性を追求するあまり常識まで断捨離したのだろうか。

捨てること、残すこと

 長くなってしまったが、簡単にまとめると、ただひたすら捨てることと、何もかも捨てずに残すことは、伽藍堂とゴミ屋敷の違いこそあれ本質的には大差ないということだ。捨てればよいというものではなく、また残しておけばよいというものでもない。視野狭窄や思考停止に陥らず、物や情報とどう付き合えばよいのか、誰もが真面目に考えなければならない。
 私にとってミニマリスト動画の視聴は荒療治のようなもので、それを参考にたくさんの物を処分した。その処分が一段落した今、ミニマリストやミニマリズムを客観的に見つめ直していきたいと考えている。

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