見出し画像

ルミネがあればメンクリはいらない

 自己治療仮説。

 世界がぜんぶ敵に見える時、わたしは決まってルミネに逃げ込む。コンクリート造の無骨な駅構内を抜けて、ショッピングビルの光差し込む自動ドアをくぐると、ほっと息ができるようになる。
 中は空調が効いていて、ダウンライトで照らされた店内は隈なく明るく、どことなく香水のいい匂いがする。まっすぐ区切られた小道の両脇を素敵な服やアクセサリーを纏ったマネキンが、背筋をピンと伸ばして立っている。柔らかな「いらっしゃいませー」という声が聞こえてくる。
 そしてぼんやり歩きながらそれらを堪能しているうちに、不思議なことに精神的な疲れの大半が吹き飛んでしまうのだ。

 「暮らしを整える」という言い回しが流行っている。清潔な空間は気持ちが良い。広々とした場所では開放的な気持ちになるし、お気に入りのものばかりの棚を眺めているとわくわくする。掃除や断捨離などももちろん好きだけど、労せずにその快適さが手に入るなら、やっぱりルミネに通ってしまう。
 『ティファニーで朝食を』のホリーほどわたしはブランド志向じゃないけど、彼女の気持ちはよくわかる。整えられたショーウィンドウを見ていると、「しみったれた垢」にまみれてくすんだ心が慰められる。それがたとえ手に入るものでなくてもいいのだ。「ここに並んでいるものは、すべてわたしに向けて提供されている」それだけで十分。

 とはいえ、ひとたびルミネを出てしまえば、あっという間に心は萎びてしまう。入る前ほどつらい気持ちにはならないけれど、今から帰る家や溜まっている家事のことを考えると、やっぱり落ち込む。
 その心細さに耐えきれなくて、ついついお金を払って、きらきらした服やアクセサリーや化粧品を持ち帰ってしまう。えいやっと財布の中身を渡して、代わりに買い物袋をお守りのように抱きしめて、家に帰る。
 きらきらが消えてしまわないうちに。
 そうして持ち帰ったものは、家に着くころにはすっかりわたしの一部になってしまう。もちろん欲しくて買ったものだからキラキラして見えるけれど、ルミネの中ほどには輝かない。でも、明日を戦う鎧には十分だと気を取り直して、クローゼットの1番いい位置に戦利品を飾る。明日はこれを身につけて会社に行こう。週末はこれを着て遊びに行こう。そしてやっと穏やかな眠りにつくことができる。
 しみったれた平日に嫌気がさすたびに、こうしてわたしは同じことを繰り返す。

 買い物依存症? そうかもしれない。ほかに代替手段がないのだから。でも、これがないと立っていられないから仕方ない。支えがなくなれば、もっと周りに迷惑をかけてしまう。人の足を引っ張ってしまう。
 それに、実存が揺らいだときの「脆いわたし」を誰にも見せたくない。世界がぜんぶ敵に見えるのだ、誰からも見えないところでほっとしたい。
 その点ルミネはいい。お客さんは他の人を見ないし、店員さんもわたしがお客さんにしか見えてない。透明になれて、優しくされる場所は、ほっとする。

 天国は、駅ビルみたいな場所だといいな。
 クレジットカードの請求に怯えながら、今日もわたしはルミネにいる


この記事が参加している募集

#給料の使い道

393件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?