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姥捨山でピクニックをしよう

※この作品はPrologueに掲載していたものに加筆修正を加えています。


ばあちゃんが変になったのは、あのセールスマンが来てからだ。突然その辺で粗相したり、ご飯をブーっと口から噴き出したり、まるで赤ちゃんじゃないか。

「もう嫌よ、いくらあなたの母親でももう面倒見きれない!」

母さんは、ばあちゃんが変になってからずっと1人で介護していた。

「老人ホームにいれれば?」

思いついて言ってみたが、すぐ母さんのため息が返ってきた。

「どこもかしこも満杯なのよ」

がっくりと項垂れる母さんを見て、俺も父さんも何も言えなかった。母さんのやつれ方を見ればその苦労は想像できる。

前はもっと肌もふっくらしていたし、よくネイルにも通っていた。しかもばあちゃんもおしゃれ好きだったから、2人で洋服をシェアすることだってあった。それくらい仲が良かったはずなんだ。

介護は、そんな「たのしい時間」さえ遠い過去のものにしてしまうのか。

「だいたい、あの男はなんなの?『生前の思い出づくりにピッタリです』って変な紙出してきて、突然お義母さんに、変な催眠かけ出して…」
「紙?」
「そうよ!お義母さん、なんかサインしちゃったのよ」
「それ一昨日くらいの話だよね。クーリングオフとかできないのかな。きっとその変な契約のせいだよ」

俺の提案に、父さんが大きく拍手しだす。お前は天才か!それだ、それだよ、と。

父さんは早速男が置いていったチラシを見て電話をかけ始めた。すぐに電話に出たらしく父さんは廊下に出て、話を始める。

5分ほどして、「よろしくお願いします」という声が聞こえたから胸がワクワクしたが……戻ってきた父さんはこちらの想像とは違い、やけにテンションが低かった。

「クーリングオフはできるそうだが、忙しくてうちに来れるのは半年後らしい」
「無理よ私、半年なんて!半年過ぎる前にお義母さんのこと殺してしまいそうだわ。あんなに優しい人だったのに……ううぅっ」

泣き出す母さんを見て、俺も鼻の奥がツンとする。バレないようにティッシュを渡した。

「だがな、家に直接連れてきてくれるなら、明日にでも契約解除できるって言われたんだ」
「…ほんとなの?」

家がどこにあるのか聞きもせず、さっそく母さんは明日の出発に向けて準備を始めた。そんな母さんの様子をみて、父さんも「よし」と覚悟を決めたようだ。俺は高校を休めと言われ、父さんも有給を取った。

次の日の早朝、俺たちは車で男の家があるという山に向かった。まだ日も登り切っていない中で、嫌がるばあちゃんになんとかオムツを履かせ、後部座席に座らせる。最初は「おろせおろせ」と泣き喚いていたが、なんとなく覚えている手遊び歌を披露したら落ち着いてくれた。小さい頃熱心に歌ってくれた、若き日のばあちゃんを思い出しながら。

車で5時間かけてようやく山に辿り着く。ばあちゃんのおむつは、道中3回変えた。そのたびにギャン泣きされたが、変顔七変化をしてなんとか笑わせられたときはこの上ない達成感に包まれた。母さんがよく父さんがいないとき、俺だけに見せてくれた変顔を思い出しながら。

「ここから先、車の進入禁止…か」
「本当にこの道であってるの?樹海みたいな景色してるけど大丈夫?」

ナビは確かに、この道を示していた。目の前はまさに獣道。車は絶対に入れないだろう。

「絶対クマとか出るじゃん、まじやばいって。車椅子通れるかな」

俺はばあちゃんを車椅子に乗せる。

「大丈夫だ。この道であってる。多分…」

どこか自信のなさげな父さんだがずんずんと道を進んでいく。俺たちも満を辞してついていくことにした。ガタガタと揺れる車椅子。ばあちゃんは不安そうな不安そうな顔をしている。

そういえば小さい頃父さんと登山に行った。小さな山だったが、静かで、時折聞こえる鳥の声や傘が揺れる音、何者かもわからない声たちが怖かった。そんな俺を「大丈夫だ」と励まし、手を繋いでくれた。あの大きな手、そして帰り道におんぶしてくれた大きな背中がふと脳裏によぎる。

しばらく歩くと、もう車椅子も通れないほど険しい道になった。俺は父さんと交代しながら、ばあちゃんをおんぶして進む。ばあちゃんはおんぶされて、楽しそうに笑っていた。

家を出発してから8時間が経つ。いよいよ腹が減った。

「この辺少し開けてるし、お弁当でも食べましょうか」

母さんがあれた草むらの上にレジャーシートを引いて、朝全員で作ったお弁当を出した。木々に覆われていてなんだかじめじめとしていたが、ピクニックのようでテンションが上がる。空は青く澄んでいて、落ち着いて深呼吸をすると緑のにおいが肺を満たす。

お弁当は父さんと俺が握った、少し歪な塩むすび。それから母さんの焼いた美味しい卵焼き、昨日の残りの筑前煮。あと、朝ごはん用に買ってあったウインナー。

食べてる最中は交代でばあちゃんの面倒を見た。ばあちゃんも嬉しそうに塩むすびを頬張る。ほっぺの横に目いっぱいご飯粒をつけている。

「あっ」

突然ばあちゃんの手からおにぎりが落ちて転がった。まてまて〜!と俺が追いかけるとばあちゃんが笑った。本当に、赤ちゃんみたいだなぁ。

おにぎりが何かにぶつかってほろり、崩れた。石かなと思ってチラリと見ると、白く、そしてもらい、何か見てはいけないもののような気がした。「骨…」思わず口に出したが、恐怖で慌てて家族の場所に戻る。まさか、骨な訳。

「どうかしたの?」

母さんが不思議そうな顔で覗き込んでくる。「なんにも?」と笑うしかなかった。ここで怖がらせたら、ダメだよな。

その後、食べ終わった俺たちはまた足を進める。「母さん、あとちょっとだから頑張ろうな」と、父さんはばあちゃんに囁いた。

「嘘だろ」

目の前に突然崖が現れた。ごくりと唾を飲む。こんなのってありかよ。しかし周り道ができそうなルートもない。

母さんはリュックからロープとタスキを出した。万が一こうなったらと考えていたのだろうか、用意周到だ。先に母さんが登り、てっぺんからロープを垂らしてもらう。俺がばあちゃんを背中に固定し、登っていく作戦だ。

「よし」

ばあちゃんをおんぶして、俺は崖を見上げる。てっぺんでは母さんが手を振っていた。準備できたよ、の合図だ。

やるしかない。母さんが登れたんだ、大丈夫。たしかに大きな崖だが登るの自体はそんなに大変じゃないはずだ。ばあちゃん、待ってろよ。俺の決意が伝わったのか、ばあちゃんは大人しく身を委ねてきた。

父さんが後ろをついてくる。「あと少しだ!」と、声をかけてくれる。ばあちゃんは登っているうちにすやすやと眠っていた。ぎゅっと、俺の肩を抱いている。その手はいつも俺が落ち込んだとき「大丈夫」と言いながら添えてくれる、いつもの温かい手そのものだった。

それにしてもこの崖は何か変だ。下から見たときは気づかなかったが、足場や手をかけるところがきちんとある。自然のボルダリングみたいだ。コツさえわかれば、やっぱり登るのは容易い。だけどそりたつ崖を見て、登りたくないと感じる人もいるんだろうな。

なんとかてっぺんについたとき、達成感で涙が出てきた。1時間はかかっただろうか。太陽が西から俺たちを照らしている。ばあちゃんが目を覚まして、俺の頭を撫でてくれた。

「よくきましたね」

突然聞き慣れない声。顔を上げるとあのセールスマンだった。

「みなさんだいたい、山に捨てて諦めちゃうんですよ」

ニコニコと男が笑う。

「おばあちゃん、ずいぶん素敵な家族に恵まれましたね」

パチンと音が聞こえたような気がした。赤ちゃんのように「あー」とか「うー」しか言わなかったばあちゃんが、急に落ち着いた。タスキを外すと、自分の力でしっかり立ち上がって、うんと伸びをした。

「契約は解除させていただきました。お帰りはあちらからどうぞ。実はロープウェイが通ってるんですよ。最近は誰も使っていませんでしたが……お客さんは久しぶりです」

ふふ、と笑う男。案内されるがままロープウェイに乗る。自分たちの車が、出口のすぐ隣に止めてあった。さっき登ってきたのはここじゃないはずなのに、なぜ車が移動してるんだ?

車に乗って山道を下っていくと、ワゴン車とすれ違った。助手席におじいちゃんが乗っていて、少し暴れている。もう日は落ちかけている。もしあの人たちも俺たちと同じ理由であの男に会うのだとしたら、山で夜を越さなきゃいけない。テントや寝袋は持ってきたかな。熊とか出なきゃいいけど。

「あのじいさんは、捨てられるんだろな」

ばあちゃんがぼそっとつぶやいた。


【近況】

先日から長編を書こうかなと、テーマを日々考えています。いただいたコメントのおかげです。いずれnoteで公開できたらいいな。

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