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【エッセイ】泣くのが怖いから、私はアルマゲドンが観れない

予告編でボロ泣きする私はコスパの良い女なのだろうか

私はすぐに感動して涙を流す、いわゆる涙腺が弱い女だ。

以前夫と「映画の予告編だけをひたすら流しているカフェバー」みたいなところに行った。札幌の狸小路付近にあったのだが、調べたらもう閉店していた。

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席に着くなり私の視線は、デカデカと目の前に鎮座するスクリーンにくぎ付け。薄暗い店内を、スクリーンの中の演者たちが明るく照らしていく。

感動巨編からアニメーション、アクション映画にほのぼのアニマル映画、ミステリーまで、そのバリエーションはさまざまだ。「あの映画観てみたい」「面白かったよ」など、普通はそんな話で盛り上がる様だ。実際に隣に座っていたカップルは、恋愛映画を見て「これずっと観たかったんだ」「よし、映画館の席探してみよ~」なんてデートの予定を立てていたんだから。

多分夫も、気になる映画の話を私にしたかったのだろう。しかし私は予告編をみて終始泣きっぱなし。せっかくキレイに仕上げたメイクが崩れることも気にせず、ボロボロ涙を流していた。薄暗い店内でも、同じテーブルに座りあっていればそりゃ気づく。

一番驚いたのは、たった30秒ほどの短い予告で「これぜったい泣くやつだわ」と大泣きしていた瞬間らしい。

その頃はまだ夫と結婚する前で、仲を深めていた段階、つまりデート中だった。

なのに「この映画気になるね、いつ上映開始なんだろう。今度観に行こうよ」とデートに誘う気で彼女の顔を見たら「ズビズビ、本当だねっズビ、シクシク。いつがいいかな、シクシク」なのだ。驚くどころか引く。

夫はのちにこの日のことをこう語る「コスパ良いなって思った」と。

デートで泣きすぎて夫の涙を引っ込めてしまった

ラ・ラ・ランドという映画をご存じだろうか。

「夢を叶えたい人々が集まる街、ロサンゼルス。映画スタジオのカフェで働くミアは女優を目指していたが、何度オーディションを受けても落ちてばかり。ある日、ミアは場末の店で、あるピアニストの演奏に魅せられる。彼の名はセブ(セバスチャン)、いつか自分の店を持ち、大好きなジャズを思う存分演奏したいと願っていた。やがて二人は恋におち、互いの夢を応援し合う。しかし、セブが店の資金作りのために入ったバンドが成功したことから、二人の心はすれ違いはじめる・・・。」引用元:Filmarks

先に言っておくが、涙腺弱すぎな私とは反対で、うちの夫は滅多に泣かない。私も出会ってから一度も泣いているところを見たことがない。感動してウルウルすることはあるそうだが、なかなか涙が出ないようだ。

数年前、そんな夫とラ・ラ・ランドを映画館で観た。

映画館でスクリーンを前にし、物語中盤。セブとミアがだんだんとすれ違っていくシーン。

ポロポロと涙を流し始めた私の涙腺は、そこから終わりまでノンストップだった。ネタバレになるので控えるが、最後の30分間、極めつけにラストのピアノのシーンを見たときなんて必死にせき止めていたダムが決壊。その後映画が終わっても余韻を引きずるほど号泣していた。

帰り道、夫と感想を言い合ってるとぽつりと言われた。

「泣かれすぎて、涙引っ込んだんだよね」

夫も結構ウルウルし、泣きそうなほど感動したらしい。しかし隣で号泣している私を見て、引っ込んだんだそうだ。「自分より泣いている人がいると涙が引っ込む」思い当たる人も多いのではないだろうか。

極めつけに「全然感動する要素のないシーン」でも泣き出したので、わけがわからなくなったんだとか。申し訳ない。ちなみに「君の名は」を観たときも同じことを言われた。

泣くのが怖いからアルマゲドンが観れない

感動するために映画を観るのではなく、ときめきや刺激が欲しいから映画を観る。映画の世界に入り込み、自分が日常で経験しないような感情を味わいたい。観終わった後、ひとりの人生をすこしお借りしたような、そんな気分になれるのが映画だ。私はそんな気持ちでいる。

しかし前述したとおり、私はとにかく涙腺が弱い。予告編で泣くほどである。

泣くとスッキリするという人が多いだろう。しかし私は、泣くと疲れる。すっごい疲れる。感情がジェットコースターみたいに忙しく動き続け、しかもずっと涙腺を刺激しているので、ぐったり感が半端ない。「泣きたくない……」という思いの方が強い。あと「静かに泣かなきゃ周りの人に迷惑だし」と、気を使いすぎるのも疲れる要因のひとつだ。(映画館では特に)

さて、泣ける映画と言えば「アルマゲドン」はご存じだろうか。有名な映画である。

「『ザ・ロック』のマイケル・ベイ監督、ブルース・ウィルス主演でおくるヒューマン・アドベンチャー。テキサス州に匹敵するほどの小惑星の接近に際し、地球滅亡の危機を救うために立ち上がった14人の男たちの活躍を描く。」
引用元:Filmarks

これは映画の主題歌。この動画のコメント欄を見たら「あのシーンを思い出す」とか「素敵な映画だった」とか、いろいろ書いてあるのだが……。

私はアルマゲドンを一度も観たことがない。観れないのだ。だって100%泣くじゃん……。あらすじを読んだだけで震えた。「いやむり……おじさんたち……嘘でしょ……」って。

あとドラえもんも大好きで子供の頃はよく観ていたのだが、大人になった今ちっとも観れない。

のび太たちの勇気に触れてボロ泣きなのはこれまでの経験から容易に想像がつく。しずかちゃんも強くてかっこいい。スネ夫とジャイアンもめっちゃ仲間思いで強いじゃん。ドラえもんとのび太の絆とかもう……。ぜったい泣くじゃん、友情をテーマにした映画とか……。

ちなみにポケモンもクレヨンしんちゃんも観れない。子供が観たいと言ったときにアマゾンプライムで流して、それを横目で鑑賞するだけで号泣である。娘がドン引きするほど。

映画を純粋に楽しみたいのに観れないジレンマ

泣いたからと言ってその映画の感想が出てこないとか、印象が悪くなるとか、そういうことはちっともない。むしろ大体「観てよかった!」になる。だから観たいのだ。映画鑑賞が趣味ですと言いたい。アルマゲドンを観てん、自分の中にひとつの経験を増やしたい。映画が観たい。

しかしいつしか観る映画を選ぶときは「泣かなそうなやつ」という条件がマストになった。本当は気になる映画が山ほどある。るろうに剣心も観たい。のに、観れない。映画館で観たい。家で観るのとはやっぱりわけが違うんだ。

ちなみに本や漫画ならまだ読める。たぶん文字で得る情報と、映像で得る情報じゃ、読了後の感想が違うのだろう。ただし本もボロ泣きなのに変わりはないのだが。

ドラマも映像なのであまり観れないが、気になってチャンネルをちょこちょこ変えることがある。最近だとTOKYO MERが面白いとママ友に勧められたので、気になって観た。そしたら最終話のひとつ前、「兄ちゃん、涼香いないと何もできないって!」で嗚咽が出るほど泣いた。あれはあかんて……。

さて話を戻そう。

「泣くのが怖い」なんて理由で映画という娯楽を楽しめない。そんな自分に「もったいない感性してんな」とつくづく思う。この映画は泣くやつだろうかと、先にネタバレを見ないとチケットが買えない。ラストがどうなるのかを知っておかないと、泣くのが怖くて映画が見れない。情報が事前にあったとしても結局泣く。

そういえば今日、ひとつ歳を取った。歳を取ると涙もろくなるという。その理由は次のように紹介されていた。

「年を取ると涙もろくなるのは、感情移入しやすくなったのでも、感受性が豊かになったのでもない。大脳の中枢の機能低下が真の理由だ。「背外側前頭前野」と呼ばれる部位が脳全体の司令塔となり、記憶や学習、行動や感情を制御している。涙もろくなったのは、この部位が担っている感情の抑制機能が低下したからだ。」引用元:東北大学スマート・エイジング・カレッジ

つまり私はこの先歳を取るごとに、どんどん涙もろさが加速していくのだろうか。

「きのう何食べた?」の映画が楽しみなのに、今から観れるかどうか不安である。素敵な映画に触れたい。誕生日を迎え、そんな願いを胸に抱いている。

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