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夢色のラブレター

「面白いんだけど、この展開がちょっと突飛過ぎるかな」


彼は原稿用紙の一部分を指して、私の方を見た。
病院の中庭のベンチに座り、四角い青空に見下ろされながら、私たちはかれこれ1時間会話している。男性にしては長い髪の毛を後ろで束ね、無精髭を生やした彼は、ここ最近毎日私の小説づくりに付き合ってくれている。
少しサイズの小さい水色の病院着と、皮が厚く乾燥した手。そんな職人の手が好きだった。
高校生の私と、25歳のお兄さん。私が父と主治医以外で、初めて心を開いた男性だ。


「なるほどね、じゃあここをもう少し慎重に書いてみようかな」


該当箇所にマーカーで線を引く。ピンク色の蛍光マーカーは、病院の売店で一昨日買った。2本目だ。


「ありがとう。せっかく書けたのになんだか納得できなくてね。でも安田さんのおかげで良い作品になりそう」


彼の方を見て笑いかけると、なんだか照れ臭くなって、すぐに目を逸らした。そんな私を見て、彼もどこかそわそわしている。空気を変えるかのように、安田さんが口を開いた。


「ところで、手術はどうなった?」
「あさって、金曜日。昨日お母さんと相談して、やってみることになった」
「そっか」
「成功率75%だって」


パジャマの裾のほつれを引っ張りながら、自分の足元を見る。すっかり細くなった足首。ぶかぶかのズボンに、管だらけの体。安田さんのように、たくましくはない。


「手術前にこの作品を送れたらいいな。目が覚めてたら結果がわかってるとか、どう?」
「うん、楽しみがあっていいと思う」


安田さんは少し眉毛を下げながら、優しく微笑んだ。なんて言えばいいのかわからないんだと思う。頑張れとも、待ってるとも、大丈夫だとも、何も言えない。私たちはそんな関係だ。


「じゃあしばらく会えないのかな」
「うん。安田さんは退院いつ?」
「来週の月曜日なんだ」
「そっか、おめでとう」


出会った頃の安田さんは車椅子だった。仕事中に階段から落下。腰を骨折したそうだ。お医者さんには「落ちたところが悪けりゃ死んでたからね」と言われたらしい。
ここ最近は車椅子に乗っていない。リハビリももう終わると言っていた。


「加奈ちゃんのミサンガのおかげかな、思ってたより退院が早まったよ」
「ふふ、作ってよかった」


入院中に誕生日を迎えた安田さんに、私は2週間前ミサンガをプレゼントした。さわやかな水色に、黄色を少し。


「あのさ、よかったら」


安田さんが口を開いた瞬間、看護師に声をかけられた。そろそろ部屋に戻りましょうね。

安田さんが何を言いたかったのか、わからずじまいだった。


次の日、また私たちは中庭のベンチで会った。


「作品どう?」
「うん!安田さんのおかげでもう書けたから、今朝出しちゃった!」


そう、よかったと安田さんがまた優しく笑う。この優しい笑顔に気づけば惹かれていた。安田さんと出会ってもう30日。恋をするには十分な期間だ。


「退院したら安田さんどうするの?」
「すぐに仕事復帰だよ」
「そうなんだ」
「師匠も心配してるし。何より自分の窯元を、早く持ちたいんだ」


夢を語る安田さんの目はキラキラしていた。
安田さんの仕事は陶芸家。まだ修行中の身だが、いつか自分で窯元を持ち、素敵な作品を世に送り出すのが夢だという。


「安田さんの作ったお皿、私ほしいな」
「本当?」
「うん。そのお皿でご飯食べる」
「あはは、じゃあ賞取ったらお祝いに送るよ」
「やったー!私、水色のお皿がいいなぁ」
「水色が好きなの?」
「うん!空の水色と、ひまわりの組み合わせが好き」


もうしばらく見ていない。実家の近くのひまわり畑。昔はよく見に行ったな。その景色が好きだった。

安田さんはスマホのカメラロールから、いくつかこれまで作ったお皿を見せてくれた。修行中というくらいだからもっと歪な作品を想像していたが、どれもこれも、私の目には美しく見えた。


「師匠には、これはダメだって捨てられちゃうんだ」
「そうなんだ……つらいね」
「うん。でも、そうやって真剣に向き合ってくれる人の存在がありがたいよ」


安田さんがまた、私の好きな顔をした。


「私も、安田さんと真剣に向き合いたい」


突然言葉がこぼれた。隣に座る安田さんの目をじっと見つめた。
ふと、我に変える。


「あっ、やだ何言ってんだろ、気にしないで」


びっくりして前を向いた。
ポン、と頭の上に安田さんの手が乗った。


「嬉しいよ、ありがとう」


子供扱いしないで。そう言いかけて止まった。10歳くらい年齢が離れていたら、そりゃ困るよね。
安田さんの顔が、いつもの優しそうな顔とは違っていた。寂しそうな表情で、私を見つめている。


「あ、そうだ。ねえ安田さん、昨日の帰りに何か言いかけてたでしょ?」
「あーいや、いいんだ」
「なんだったの?知りたい」
「なんでもないよ、気にしないで」
「じゃあ、退院前に教えてね。私がちゃんと目が覚めたら、絶対教えて」
「わかったよ、月曜日に教えに行く」


困ったような顔で、安田さんは頭をかいた。少し、耳が赤い気がした。
順調にいけば土曜日には目が覚めると聞いていたし、月曜日なんて余裕だ。目が覚めたときの楽しみをたくさん作っておけば、私は絶対大丈夫。そんな気がしたんだ。



パッと目が覚める。白い天井が飛び込んできて……今日は何曜日?
壁にかけてあった日めくりカレンダーを見ると、「水」の文字。「水曜日……?」
もしかして、手術前の水曜日?夢でも見てたのかな。
慌ててベッド脇のデスクに顔を向ける。書き終えた小説が入っていたはずの封筒が、ない。もう送った後だ。


「うそ……」


つぶやいた瞬間、腹部に痛みが走った。背中も痛い。よく考えたら全身が痛い。何日寝てた?


「こんにちは、目が覚めたんですね」


看護師さんが横に来る。


「加奈ちゃん、よくがんばったね」


痛みや気持ち悪さで力無く笑うことしかできなかった。そして、嬉しいはずなのに、もう安田さんに会えないのかという虚しさの方が大きかった。


-----七年後

「松木加奈さん、僅か23歳で直木賞受賞。おめでとうございます!」
「ありがとうございます」
「今のお気持ちは、いかがですか」
「まず、これまで支えてくださった両親、それから友人に感謝を伝えたいです」

沢山のカメラが私を見ている。自然と緊張はしていない。幼い頃から夢見てきた光景だったからだろうか、シミュレーションがバッチリだったからだろうか。黒いワンピースに身を包んだ私は、マイクに向かって堂々と自分の言葉を紡いでいた。


「大病を乗り越えての受賞、どう感じますか」
「そうですね……何度も諦めようと思いましたが、ここまで踏ん張れてよかったなと。いつも助けてくれたお医者様や、看護師さんにも、感謝の気持ちでいっぱいです」


受賞スピーチを終え、控え室に戻るとお花やプレゼントがいくつか届いていた。編集部やファン、関係者など、いろんな人からのメッセージを手に取る。


「うれしいな……ん?お母さん、これなに?」


和紙のような手触りの紙に包まれた、四角い箱を指さす。


「ああそれ、長崎のほうの窯元さんからですって。加奈、知り合いにそんな人いたの?取材で訪れた、とか?」


母がプレゼントをまとめながら話しかけてくる。
まさか。

包みを開けると、鮮やかな水色のお皿が出てきた。そして、ひまわりの描かれたポストカード。

加奈ちゃん。
直木賞受賞おめでとう。

ひまわりの横に、手書きで言葉が添えてあった。そして「安田」と、名前が記されている。

「あら、安田さん?その方今すっごく有名な人よね!新進気鋭の陶芸家!雑誌にもよく出てて、話題なのよ」
「そっか……夢、叶ったんだ」

手紙を何度も何度も見つめる。安田さんの字をなぞって、遠いむこうの温もりを感じた。

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