ハルヒSS『涼宮ハルヒの夜行/余話 七不思議の夜』

「さて終わったな」
  
  俺は腕を上に上げ、背伸びをした。
  
 「やれやれ、疲れたよ」
 「お疲れ様でした」
  
  古泉が言った。探索開始時と全く変わらない、相変わらずのスマイル。こいつも結構体力あるよな。俺や朝比奈さんとは対照的だ。
  
 「そんな事はありませんよ。僕も結構疲労してます」
 「こんな時間で無けりゃあ、喫茶店かファミレスにでも誘うところだが」
 「ふふ、遠慮しておきましょう」
 「そうですねぇ。はぁー、それにしてもいろいろ怖かったです」
  
  でしょうね。見てて微笑ましかったですよ。
  
 「もーう、からかわないで下さい」
 「ははは」
 「……いや、実は僕もドキリとする場面がありました」
 「あー、そうだな、理科室とか結構不気味だった」
 「僕は部室でした。棚板がバタンと音を立てて倒れた時に。心臓止まるかと思いましたよ」
 「あたしは階段ですねぇ、怖かったです」
  
  なんだ、やはり俺以外の団員も結構楽しんでたのか。
  三人でぺちゃくちゃと喋った後、ふと隣に立つ四人目が目に入った。
  俺たちの話に興味があるのかないのか、相変わらずの無表情で突っ立っている。こいつも楽しんでいたのだろうか。
  
 「長門、おまえはどうだ? 怖いとか思ったりすることはあったか?」
  
  何の気なしに俺は尋ねた。
  答えは分かりきっているから、勿論ただの冗談なのさ。朝比奈さんも古泉もニコニコと笑っている。
  だがまるっきり予想外の、俺と朝比奈さんと古泉が目を剥くような科白を長門はつるりと述べた。
  
 「あった」
 「……」
 「……」
 「……」
  
  沈黙の帳が下りた。俺はごくりとのどを鳴らし唾を飲み込んだ。
  冗談がうまくなったな、長門。
  わずかに長門は頭を横に傾けた。『冗談? なにそれ?』言葉にするとそんな感じか。
  
 「怖いだって? お前が?」
 「そう」
  
  長門は静かに首肯した。
  
 「我々が校内を巡回中、涼宮ハルヒによる情報改変が観測された」
  
 「え?」
 「へっ?」
 「以前私が述べた通り、彼女の能力に本人が気づいた場合、予測不可能かつ大規模な情報混乱が起きる可能性があった。あなた達が生命存続の危機に晒される危険性も十分に有り得た」
 「……」
 「──私は未来を危惧していた。将来に対する予測不可能性を不安視すること。私はそれを恐怖という根源的感情の一面であると定義し了解している。未来の自己との同期を断った私が、新たに獲得した機能」
 「……」
 「……」
 「……」
 「実に……興味深い」
  
  最後に長門はポツリと言い、俺たちの顔を見回した。
  ぶおおん、と音を立て駅前通りを大型トラックが通り過ぎ、排気ガスの甘苦い臭いを広場に漂わせる。
  くらり。
  視界が傾いた。俺たちは呆然となっていた。
  長門は今、何と言った? それはつまり、アレか。ハルヒのヘンテコマジックが炸裂したって話か。それもついさっき。
  
 「そう」
 「い、何時だ、長門」
 「長門さん、それは本当ですか?」
 「まさか、そんな」
  
  長門は澄んだ水晶眼で動揺する俺たちを見つめ瞼をごく僅かに持ち上げて見せた。
  その瞳には何の感情も浮かんでいない、ようにも見える。
  だが長門検定初段の俺には分かる。目の奥に見えるこいつの考えが。そう、こいつはこう言っている。
  
 『貴方達、気付いてなかったの?』と。
  
  長門は語りはじめた。
  
 「……北校舎は四階建て。しかし我々は四人で一階づつ階段を上った。つまり本来は存在しない『五階』にあがった」
 「え」
 「あっ」
  
 「理科室の解剖模型は普段はガラスケースの中に入っている。我々が理科室に入った時ケースが消失していた」
 「そうなんですか?」
 「……そういや昼間、ケースあったな……」
  
 「五階の廊下を歩いている際、一階にあったはずの美術室が五階にもあった」
 「増えたってことか……」
 「そう」
  
 「文芸部室の扉は内開き。しかし貴方と涼宮ハルヒが扉を開けた際のみ外開きになっていた」
 「……ああ、鼻、ぶつけたな……よく考えればありえん」
 「そんな事があったんですか」
  
 「四階のトイレは女性用が向かって左、男性用が右にある。しかし我々が訪れた際は逆になっていた」
 「あの時感じた違和感はそれか」
 「あ……」
  
 「テニスコートは三面ある。我々が行った時は一面が消失し二面しかなかった」 
 「げ」
 「あの妙に狭く感じた気配はそういうことでしたか」
  
 「以上が、私が観測した涼宮ハルヒによって今夜行われた情報改竄」
  
  長門は真摯な瞳で俺たちを見つめ再び口を閉じた。
  くらり。
  再び視界が傾いた。──世の中は不思議に満ちている。そう、こんなにも身近に。
  な、ハルヒ。
  
 「これはつまりアレか、SOS団と同じか」
 「そう、涼宮ハルヒ本人は気付いていないが、彼女が識閾下で求めていたものは、既に彼女の眼前に現出していた」
  
  ふう、と息をつき、「やれやれ」とつぶやいたのは──俺では無く古泉だった。
  
 「あの時感じたのはこれでしたか……」
 「お前、気付いてたのか?」
  
  俺が聞くと古泉は沈鬱な表情で、
  
 「十三階段を調べている時に、涼宮さんが“力”を使ったような気がしたんです」
  
  そういや感じ取れるとか何とか言ってたなぁ、お前。
  
 「ただ、ほんの一瞬でしたし気のせいかと思って深く追求しなかったんですよ」
  
  あいつを甘く見ちゃダメだといういい教訓になったじゃねえか。
  しかし追求した所で分かるのは、部室のボロ扉が反転したりトイレが左右逆になったりしてたことぐらいか。
  ─一まあなんだ、ショボイ、な。何だかこのセリフ、今日けっこう口にした気がするぞ。
  
 「内容は言ってしまえばどうでもいいのですが」
 「ほう」
 「問題は別の所に有りまして」
  
  古泉は額にしわをよせ、
  
 「正直僕は今、自信喪失中なんですよ」
 「どういうこった?」
 「世界の有るべき姿を守ろうとし、涼宮さんのトランキライザーを自負していた僕が、目の前で行われた世界の改変にまったく気付けなかったのですから」
  
  はぁ、と溜息をつく古泉。
  まぁそんなに気に病む事はないんじゃないのか? こんな間違い探しに気付けるのは長門くらいさ。
  それに俺も正直高をくくってた。もうハルヒは心の趣くままに世界を歪ませちまう様な事はしないんじゃないかな、なんて思ってたし。
  
 「……そうですね」
 「まだまだあいつの事を分かってなかったな、俺たち」
  
  常識と多少は折り合いを付け、食わず嫌いをしていたニンジンを「ま、食えなくも無いわね」とのたまう小三ぐらいのメンタリティは持つようになったと考えていたんだが。
  
 「ふっふふ」
  
  古泉は自嘲っぽい笑みを零した。
  
 「なんといいますか、彼女の迷いをそのままうつし込んだような改変でしたね」
 「どういう意味ですかぁ?」
 「望んではいるが無ければ無くて良い、かといって全く無いのも不満だ、と」
 「成程な」
  
  長門が再びその小さな口を開いた。
  
 「きっかけはおそらく、」
  
  そのまま視線を横にむける。
  
 「……」
 「……」
 「……え? あ、わ、私ですかぁ?!」
  
  朝比奈さん?
  
 「そう。美術準備室で、貴女は文芸誌の記載記事の一部が、虚偽、創作、冗談である可能性を示唆した」
 「ああ、あのときの」
 「その指摘に対する無意識の反発、否定が今回の三次元澱質情報の改竄のトリガーになった可能性が高い」
 「そ、そんなぁ……」
  
  泣きそうな顔になって、口元を手で押さえる朝比奈さん。こらこら長門、朝比奈さんを泣かせるんじゃない。
  古泉が再びエセスマイルを復活させ、
  
 「成程、その推察が最も蓋然性が高いように思えます」
 「うぅ……やっぱり私が原因なんですね……グスッ」
  
  古泉、お前の明日の朝食は病院の流動食に決定したからな。
  
 「長門さん、姿を変えてしまった学校はどうなったのでしょう。そのままですか?」
  
  長門が淡々と、
  
 「……帰る際、涼宮ハルヒが校門を乗り越えた時点で全ての情報改竄は解消され、元の状態に復帰した」
 「ほう」
 「明日登校した生徒と教諭が改竄に気付くことはこれで無くなった」
 「朗報です」
 「よかったぁ……」
  
  ほっと息をつく朝比奈さん。
  おかげで明日、朝練に来たテニス部員が異空間に飲み込まれたコートを探して右往左往する事は無くなったわけだ。
  良かったですねぇ俺も一安心ですよ、などと半泣きのエンゼルに声をかけようとした矢先、
  
 「……しかし懸念が一つある」
  
  全員がぐらりと体を傾かせた。
  再び長門が放つルーデルばりの一撃必殺急降下爆撃。お前もスツーカ見たくサイレン付けてくれないかな。いきなりは心臓に悪いんだよ。
  
 「な、何なんだ長門、まだ何かあるのか」
 「私が観測した改竄情報は先に述べた六点。しかし涼宮ハルヒは『七不思議』を求めていた筈、一つ足りない」
  
  再び沈黙の帳が時速180Kmで滑り落ちる。
 「これはマズイですね」
 「ど、どういう事ですか? 古泉くん」
 「長門さんの力でも気付けない、涼宮さんの能力行使があった可能性が高いという事です……」
  
  長門はまっすぐに前を見たまま言葉を紡いだ。
  
 「私が涼宮ハルヒの観察を開始して以来、彼女の力、環境情報操作能力発揮事例は全て把握して来た」
  
  ああ、あの終わらない夏休みに最初から気付いていたのはお前だけだったな。
  
 「今回彼女が力を行使したと仮定すれば、私がそれに気付けなかった初の事象となる」
 「長門さんの力でもわからないなんて……」
 「思念体も困惑している。彼女が改竄情報に強力なシールドを張ったのか、」
 「はわぁ」
 「もしくは我々インターフェイスも含む、観察者全員の認識を狂わせた可能性もある」
  
  欝な表情で考え込む古泉と朝比奈さん。
  
 「ど、どうなっちゃうんでしょう」
 「……分からない。涼宮ハルヒの能力が新たな進化を遂げた可能性も、思念体の一部で論議されている」
 「ううむ……」
 「あぁ……」
  
  三人の超常者はそのまま黙りこんだ。朝比奈さんはその白皙のお顔を青ざめさせ、古泉もその面を曇らせている。
  長門は変わらずの無表情だったが、「日本長門の会」会長の俺には判る。こいつの目に浮かぶ憂いの色が。
  
  
  ────なんかイラついてきた。
  
  
  お前らなぁ。あいつの事を過大評価しすぎなんだよ。
  前々から思ってたんだがハルヒのアホは、そんな進化の可能性とか時空の歪みとか神様モドキとか、んな大したタマじゃねぇだろ、じっさい。
  もっと……こう何て言うか…………まぁいいや。
  俺の口からある呟きが、急須の吻に残った出がらしの一滴よろしく零れ落ちる。
  
 「そんな深刻になる事はないだろ」
 「……」
 「……」
 「……」
  
  三人が一斉に顔をあげ、俺の顔を「こいつ何言ってんだ?」的な表情を浮かべて覗き込む。副団長が口を開いたが、
  
 「……それはどういう」
 「別に」
  
  古泉の言をぶった切る俺。さしずめ示顕流一の太刀、差料は津田越前助広。
  
 「長門やお前が何も感じ取れなかったんなら、何も起きなかったんじゃねぇのかって思っただけだ」
  
  ただそれだけ。
  
 「……それは……」
  
  朝比奈さんがおずおずという形容詞そのままに口を開き、
  
 「あの、じゃあキョンくんは涼宮さんが『七』不思議とか関係なく『六つ』の……そのぅ改変だけで満足しちゃったって……そう考えてるんですか?」
  
  俺は首を傾げた。いやちょっと違いますね。
  あいつはたとえ無意識に行った改変にしろ、そういう所は外さない奴だ。
  
 「ではどういう事です?」
  
  どういうって言われてもなぁ。まぁいいや、説明するとだ、ハルヒの事なんだが。
  
 「はぁ」
 「アイツさ」
 「はい」
  
 「ベタな奴なんだよ」
  
 「は?」
 「は?」
 「……」
  
  つまり可愛らしい先輩女子高生にチアガールやらメイドさんの格好させたり。
  チョコレートを山に埋めて、男どもに宝探しさせたり。
  平和を守る未来エージェントの目から光線出させたり。
  孤島の館で密室殺人を夢想したり。
  除霊師に巫女さんのカッコさせて般若心経唱えさせたり。
  夏休みといえば蝉取りだったり。
  年越しで福笑いやったり。
  
 (キスで悪夢から覚めたり)
  
 「な、ベタな奴なんだよ」
 「はあ」
  
  ワケワカメな面で相槌を打つ古泉、をはじめとする三人組に俺は、
  
 「だからさ、これも無意識にやらかしたあいつなりのアホでベタな冗談じゃねぇのかって思ったんだよ」
  
  たぶんだけどな。
  
 「ジョーク……ですか?」
 「ああ、ボロッボロに使い古されたふるーいやつな」
  
  三人はまばたきしつつ俺の顔を見つめた。
  つまりだな、こういう意味だ。
  
  
 「七不思議の最後の一つ、それは七不思議の筈が六不思議しかない事」
  
  
 「……」
 「………」
 「…………」
  
  沈黙の妖精がくるりくるりくるりと広場を三周。一切の感情を消した面で超常三人衆はしばらく俺の顔を見つめていた。
  俺もすっとぼけた面で三人を見返していたが、やがて、
  
  
  ──古泉と朝比奈さんが弾けるように笑い出した。
  
  いつもとは少し違う表情で笑いさざめく二人を見ていると、
  
 「……くっ」
  
  だめだ、もうポーカーフェイスはもうやめだ。俺も笑っちまった。
  ぶおおん、と駅前通りを今度はタンクローリーが通り過ぎる。
  広場の三人の笑い声は大型車のエンジン音が聞こえなくなってもまだ続き、植木の常緑樹の葉を振るわせ続けた。
  
  一方、一人無表情のまま佇むのは──もちろん長門だ。
  そんな長門を見ていると今までとはまた違った感情の笑みがあぶくの様に浮かび、表情筋の上でゆっくりとはじける。
  それは朝比奈さんと古泉も同じだったらしい。
  俺たち三人はいつのまにか声を出さずに、ただニコニコと笑って長門の顔を見つめていた。
  
  長門の黒曜石の様な瞳と白い顔にはあいかわらず何の変化も無い──ようにも見える。一見はな。
  
  だが俺には、いや俺たちにはわかる。ここにはいないがハルヒもきっとわかるさ。
  その瞳の奥にあるこいつの考えが。そう長門は声には出さずこう言っている。
  
  
  
  ──やれやれ。
  
  
The End

自作SS集です。楽しんでいただけたら幸いです。