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心もお直し | ズボンの裾を切ってもらった日

いい加減、ズボンの裾を直そうと思った。
お気に入りのズボンの生地とスニーカーのカカトの部分の相性が最悪で、裾の部分がボロボロになってしまっていた。いつか直そうと先延ばしにし続けていたのだが、まるで傷が深くなって肉がみえてしまった肌のように、ズボンのボロボロ部分から白い綿が見えてきて、いよいよこれは直さなくてはいけないと思った。

といっても直すのは私ではない。
針に糸を通すだけで30分くらいかかってしまう私にお直しなんて出来るわけがない。私にはばーばという家庭科のスペシャリストが近くにいて、裁縫関係はすべて彼女にお任せしてしまっていた。

ばーばに、ズボンのお直しをお願いしたいとLINEすると、「夜ご飯は何がいい?」と返ってきた。私は「何でもいいよ。あ、でもエビフライが食べたいかも。」と何でもよくなさそうな返信をした。

ばーばの家は、温かくて美味しそうな匂いがした。席に着くと、黄金色の衣を羽織った綺麗な海老たちが私の前に並べられた。「いただきます。」食べたかったエビフライを口いっぱいに頬張る私に、ばーばが近況を聞いてきた。「新しい会社どうだった?」興味津々というか、きっと心配してくれてるばーばの質問に、あまりうまく答えられない私がいた。

社会人になったのに、私は大学生からの心のモヤモヤを引きずっていた。人間関係が上手くいかないんじゃないか、本当にこの会社で良かったのかな、なりたい私になれなかったらどうしよう、そもそもなりたい私ってなんだっけ、そんな先の見えない不安と、何もない無力感と、考えても仕方がない悩みが私の頭と心を占拠していた。

ご飯を食べ終えると、ばーばはすぐにお直し作業に取りかかった。「なんでこんなにボロボロになっちゃったのよ。」ばーばは呆れ顔であらゆる角度からズボンの傷を確認している。そして「あーこれはもう切らないとダメかもね。」と静かに呟いた。

長いシルエットがお気に入りだったズボンを切らなくてはいけないのは少しショックだったけど、放置し続けた私が圧倒的に悪い。ズボンの傷部分を切って、丈を短くするという形でお直しをお願いした。

30分後。綺麗に裁断され、丁寧にアイロンがけされ、まるで美容院から出てきた女の子みたいに、新しく生まれ変わったズボンを受け取った。10センチほどカットされたズボンを履いてみると、なんだか新鮮な気分になった。いつもくるぶしが隠れるほどの長いズボンばかり好んで履いていたけど、くるぶしが外に出るズボンもすっきりして良かった。

「途中まで送っていくよ。」暗くなった空を見て、ばーばはそう言った。じーじーにお別れの挨拶をして外に出ると、すっかり冷たくなった空気が私とばーばを包み込んだ。「夜は寒いね。」そう言ってばーばを見た時、ふと、「ばーばはどんなことに幸せを感じて、どんなことに悩んで生きているのだろう。」と思った。これまで私は、ばーばのことをちゃんと考えたことはあっただろうか。

ズボンの裾を直して欲しいと言ったその日に修復してくれたばーば。

私が食べたいと言ったエビフライを用意して待ってくれてたばーば。

いつもお小遣いをくれるばーば。 

私のオチのない話をずっと頷きながら聞いてくれるばーば。

いつも心配そうに私の学校のこと会社のことを尋ねてくるばーば。

帰り道送ってくれるばーば。

何もかもが見返りを求めたことではなくて、
私はいつもばーばから無償で愛を受け取っていた。

「じゃあここまでね。信号が青になったらばいばいね。」「うん。」ばーばの優しい瞳を見たら、なんだか泣きそうになった。何を作りたいのかも、何がしたいのかも、私はまだ具体的に何も決められていない、分かっていないけど、ばーばが喜んでくれるようなもの、ばーばが幸せを感じられるような作品を作りたいと思った。

赤信号が青に変わる。手を振りながら歩き始めた私の膝に、直してもらったズボン入りの紙袋が優しく当たる。ばーばは気付かぬうちに、私の心もお直ししてくれたの?

これから先も、社会の中で生きていく以上、私の心は彷徨い、色んなところにひっかかっては、傷つき、ボロボロになることもあるだろう。ばーばに綺麗に整えてもらったけど、またすぐほつれてしまうかもしれない。どれだけ完璧に直してもずっと大丈夫ということはきっとないのだ。心もズボンも何度もお手入れをしたり、お直しをしたり、時にボロボロ部分を裁断して整え続けないと本当に使い物にならなくなってしまう。

自分の心くらい自分でお直し出来る様にならないと。人間関係が不安とか、本当にここでいいのかとか、いつまでもうじうじしていないで、まずは置かれた場所で咲いたらどうなんだ、私。

明日は、短く生まれ変わったズボンを履いて、出社しよう。そしていつかばーばの心に素敵な刺繍を施せるような作品を作れるように、今を一生懸命生き続けたい。

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