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詠むことで引き寄せる現実

背子せこを 大和やまとると さ夜ふけて あかときつゆに れし

伊勢神宮

巻2の105 大伯皇女おおくのひめみこ    

一般訳
わが弟を、大和へと見送ると、いつのまにか夜がふけていて、明け方の露で私は立ちぬれてしまった。

解釈
ここで大伯皇女が指す背子とは弟である大津皇子。かれは人望もあり器量にも優れ、持統天皇のつぎの皇位を継ぐべき人物のひとりと目されていたようだ。大津皇子は持統天皇の姉にあたる大田皇女が実母で、父親は天武天皇。つまり持統天皇の甥であり義理の息子ということになる。

じぶんの孫である軽皇子に皇位を継がせたい持統天皇にとってみれば、大津皇子は煙たい存在だったにちがいない。それで大津皇子に謀反の嫌疑をかけて追い落とそうとはかったともいわれている。
結局、大津皇子は捕われの身となり自邸で自害するのだが、その前にひそかに斎宮として伊勢神宮に仕えていた姉の大伯皇女のもとを訪ねたとされる。

朝露に立ち濡れるまで、弟の後ろ姿を追う姉の姿…。

姉弟愛の深さに、こころうたれる静かな哀歌だ。しかも死のにおいをおびた悲しみの底には幽玄なエロスが横たわっている。その妙なる朝霧の向こうには、きっとある秘密がひそんでいたのだろう。それが姉弟の愛を超えた、悲運の絆で結ばれた運命的な愛を匂わせている。

しかし、大津皇子の伊勢行きが現実にあったとは確認されておらず、もしフィクションだとすれば大伯皇女は架空の物語りで現実を引き寄せてから、自死した弟の魂を見送ったということになる。
そうと知れば、その切ない思いがさらに悲しみをさらに深くする。

スピリチャル訳
なにもなすこともできず大和へと帰してしまったばかりに、皇子は謀反の罪で自害に追い込まれてしまった。あの朝、背中を見送ったときに朝露に濡れてしまったように、いまでも茫然と後悔するばかりで涙が乾くことがないのです。

(禁無断転載)


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