生涯忘れることのない日

「昭和50年10月15日。この日を広島の人々は生涯忘れることはないだろう」カープが初優勝した際に衣笠祥雄氏は、こう語っていた。

もちろん優勝を手にした瞬間の、興奮がピークの時にほとばしり出たものではない。やや時間が経って気持ちの整理がついてからのコメントだ。

「優勝がこんなにいいものだとは思わなかった。今までそれを知らなかったのは不幸だったよ」

祝賀会のビールかけでの発言だったろうか、直後には確かこんなことを語っていた。

「永遠に忘れられない日」それは意外にも、その時リアルな感覚として理解できるのではなく、時を経て振り返ってみて身にしみるものなのだろう。衣笠さんにそう言われた広島の人々だって、優勝を目にした瞬間はただ興奮するばかりで、そんなことを意識する余裕もなかったはずだ。

では、そんな言葉を残した衣笠さんにとって「永遠に忘れなれない日」とは、どんな日だったのだろうか?

プロ野球選手であった衣笠さんには、その候補はいくらでもあったはずだ。

初めて一軍の試合に出た日。

初ヒット、初ホームランを放った日。

連続試合出場の日本記録を更新した日。あるいは世界記録を塗り替えた日。

巨人の西本聖投手からデッドボールを食らって肩甲骨にヒビが入ったにもかかわらず、目覚めたら奇跡的に肩が動いて打席に入れた日も忘れがたい日だったにちがいない。

衣笠さんの著書「限りなき挑戦」には、こう記されてあった。

「昭和45年10月19日—。僕は生涯、この日を忘れぬだろう。時間が経つにつれ、歳月が流れるにつれて、ぼくはますますこの日を意識するだろう。」と。

この著書は、すでに連続試合出場の日本記録を更新したのちに書かれている。その偉業達成の騒動も落ち着いての述懐、感慨といったものだ。ある特別な日を振り返った時、なんでもなかったある日が、強く意識に上るようになっていたのだ。

そのなんでもなかった日のことを、衣笠さんは鮮明に覚えてた。スタメンから外れて、6回に興津立雄一塁手に変わって守備についたことを。まさかここから偉大な記録がスタートすることになるとは知るよしもなく…。

時を経てある日のことが、かえって強く意識に上るようになってくる。それは後日になって、その日の意味があらためてわかるからだ。

とすれば衣笠さんの連続試合出場記録をはじめ、彼が残した偉業や言動も、後年になって我々の意識に違った意味を持って立ち上がってくるのだろう。

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