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「山田をもっと学ぶ」とこれから

ここのところ、山一公民館のイベントに参加することが増えました。
そのひとつが、「山田をもっと学ぶ」という講座です。先日7/14に開催され、参加してきました。
でも、実は「山田をもっと学ぶ」には、もっと以前から申し込みをしていたのです。

・山田をもっと学ぶに参加した理由

なぜ申し込みをしたかというと、それにはわが家の事情がありました。
私の夫が普段から、「万博記念公園のところって万博開催の前は山だったの?畑だったの?」とか、「この道は旧の道だけど、昔はどの道とつながってたんだろう。」などと、私の考えもしないようなことをいろいろと聞いてくるのです。で、「知らーん」と返してばかりでは、よくないなと思って、ここ数ヶ月、山田の歴史を勉強しようと思っていたのでした。
勉強するにも教わる場所がないなと思っていたところ、ちょうど山一公民館だよりに「山田をもっと学ぶ」という講座が載っているのを見つけ、初めて公民館に電話して申し込んだのでした。

それが確か5月のこと。
緊急事態宣言で講座が延期になり、ようやく開催されたのが、7月14日。
申し込んだ5月には、館長とも面識がなかったのですが、いざ講座を受けることになったら、館長だけでなく、講師の内山さんもお知り合いになっていたという状態でした。
これまで答えられなかった夫からの数々の質問も、内山さんに聞いたら、なんでも教えてくださるので、本当に助かります!

・山田をもっと学ぶで学んだこと

盛りだくさんの2時間だったのですが、以下のようなことを勉強しました。

(1)山田で発掘された埋蔵文化財のこと
・明治11年に山田小川(こがわ)の下丁雅(しもちょうが)で発見された銅鐸。
・昭和53年に宅地造成工事で出土した、新芦屋古墳
。昭和42年、万博公園の太陽の塔付近で発掘された、山田小川の白頭(しらがしら)推定瓦窯跡。多数の古瓦が出土しています。
・陶棺が出土した似禅寺(じぜんじ)山古墳
似禅寺は、山田第一小学校の応援歌の3番にも出てくる景観の良い場所だったそうです。(小学校に独自の応援歌があるの?とか、3番ってあったの?とか色々気になるポイントはありますが)
これらの内容については、8月6日に開催される、山田をもっと学ぶで吹田市立博物館にいき、もっと詳しく学びます

(2)山田の地形と村の成り立ち
内山さんが持っていらっしゃる、明治時代の測量図のコピーや、吹田市にあった村を載せた地図、山田村の大字小字(おおあざこあざ)図、アメリカ軍が上空から山田村を撮影した写真など、貴重な資料を見せていただきました。

山田村はもともと、山田上(かみ)村、山田中(なか)村、山田下(しも)村、山田小川(こがわ)村、山田別所(べっしょ)村、の5つの村だったものが、明治17年に、ひとつの山田村となり、大字(おおあざ)として、上、中、下、小川、別所という名前が残りました。

小字(こあざ)は、戸籍を表すのに必要不可欠なものでしたが、今はほとんど残っておらず、その読み方を知っている人も、ほとんどいらっしゃらない状態です。
小字は、その土地の当時の様子などが分かることも多く、完全に消えてしまうのはもったいないと思っています。
近々、内山さんをはじめとした方々に協力していただいて、読み方を聞き取っておこうと思います。

上(かみ)のことを、「上所(かみんじょ)」というその言い方があたたかくて、「ええな~」と思うのです。(内山さんは、しもんじょの人です。)

杏谷と書いて、すももだに、と読むとかね。「なんですもも?」とか、「それ、どこ?」とか、気になりませんか?

音声を残しておくのもいいかなと思っています!

(3)「吹田の戦争遺跡をめぐる」
昨年発行された、市政80周年市民企画「吹田の戦争遺跡をめぐる」をもとに当時の様子を聞きました。
当時のことを話してくださる人は、もうわずかしかいらっしゃいません。ただ、この本をきっかけに、吹田の当時のことを聞くことができて良かったと思います。この本を制作するお手伝いをしてよかったなという思いをかみしめていました。
著者の塚﨑昌之先生にも、山田の海軍地下弾薬庫のことで、7年前山田高校で教えておられた際に講演していただいたとのこと。
本をきっかけに、また勉強会を開催しましょうという話になっています。
詳細が決まれば、またご案内しますね!



・昔のジオラマを修復!

ところで、タイトルの上の写真はなんだと思いますか?

これは、内山さんが、15年程前に山一公民館の館長だったときに自作されたジオラマの一部です。

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明治18年当時の測量図を元に、地形を丁寧に再現しているため、万博開催よりもはるか昔の、もともとの千里丘陵がとてもよく分かるものとなっています。
ジオラマの上に樹脂製のシートを重ねると、現在の道路などの位置を見ることが出来る仕組みになっています。
時が経ち、山肌や川の所々が色褪せ、村の名前も消えかかっていたのですが、大作でとても貴重な資料です。有志でコツコツ修復作業をしています。

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だいぶきれいになったので、ぜひ山一公民館に来られた際には、ご覧くださいね!