吹田山田を大切に思う会

大阪府吹田市の山田を大切に思う人たちは、みんな会員(笑) 山田~吹田~千里丘陵へと目…

吹田山田を大切に思う会

大阪府吹田市の山田を大切に思う人たちは、みんな会員(笑) 山田~吹田~千里丘陵へと目線をあげて、歴史、今、いいことも、課題も、まるごと大切に、みんなで考えて、話していきましょう。 吹田山田を大切に思う会では、お話し会、勉強会などを企画していきます。

最近の記事

山田で語られた戦争の記憶動画リンク

2021年9月20日(月)、吹田の空襲を語り継ぐ会のメンバーによる、山田に住む方の戦争にまつわる体験の聞き取りのリンク集です。 紙芝居「戦争体験集 吉岡虎夫 池上勝春編」 現在のパナソニックスタジアム吹田の地下、山田ケシ谷あたりには、今も 戦時中の海軍弾薬庫のトンネルが何本も眠っています。当時、国民学校1年生だった池上さんは海軍に自宅の田んぼを接収され、お父様は徴兵、残った家族は、苦しい日々を送りました。 「戦争体験集 宇治粂治篇」 大砲の玉を作っていた加藤金属工業ですが

    • 舞台は山田から千里丘陵に

      それは、2021年8月のある日のこと。 山一公民館館長の桑原さんは、山田在住の内山さんが作った大きなジオラマを眺め、山田村から千里丘陵一帯へと目を向けました。 「山田も、この千里丘陵のめぐみを得ている。 山田もニュータウンも、この辺り一帯は千里丘陵でつながっている。 千里丘陵全体をとらまえて、歴史や文化や人々の営み、自然のデータを集めよう。 データを作る中で、千里丘陵を大切に思う人たちでつながり、その思いや活動を次世代にもつなげていきたい」と。 以上、たぶん、館長はそう

      • 山田で語られた戦争の記憶

        先日の山一公民館での塚﨑先生のお話会に参加してくださった真木さんが申し出てくださり、2021年9月20日(月)、山田に住む方の戦争にまつわる体験の聞き取りが行われました。 山一公民館の桑原館長のお力を借りて、山田の内山さんと池上さんにお越しいただき、真木さん代表の、吹田の空襲を語り継ぐ会のメンバーの方々も山一公民館に来館され、撮影をしてくださいました。 内山さん、池上さんは山田で生まれ育った方々です。おふたりは山田第一小学校の同級生で、終戦を迎えた年に小学校1年生でした。

        • 「吹田の戦争遺跡をめぐる」の塚﨑先生が山田で講演会

          9月8日、山一公民館で「吹田の戦争遺跡をめぐる」※の著者、塚﨑昌之先生の講演会が開催されました。 1年前、私はちょっとした偶然が重なり、本づくりのお手伝いをしたのです。その時に初めて塚﨑先生と会いました。長年フットワーク軽く調査研究をされておられ、日に焼けてスマートな先生です。 昨年2020年に発行された本には、先生が集められた貴重な資料を多数掲載してあります。また、多くの方に興味を持ってもらい、理解が進むようにと、メンバーで手分けして撮り集めた現在の写真を掲載したり、難し

        山田で語られた戦争の記憶動画リンク

          まずは知ること、そのあとは?

          山田のこと、吹田のこと、千里丘陵のこと。 「無知の知」なんていうけれど、存在するかどうかを気にもしていなかったことが、実はたくさん存在している。 知らないことがたくさんあるのだということを、最近知ることばかり。 ふとしたきっかけで、人とつながり、つながりがひろがる。 人から聞いて知り、本を読んで知る。 人が寄れば、知識がふえていく。 知識を、どう行動にしていくのか、だれに何をどう伝えたいのか。 データを集めても、それをどう使うのか、どう使ってもらいたいのか、考え

          まずは知ること、そのあとは?

          吹田市立博物館にいってきました

          先月のことです。山一公民館の企画、「山田をもっと学ぶ」と「山一すこやかウォーク」の合同開催で、吹田市立博物館に行ってきました。参加者の人は、徒歩、車、自転車、それぞれで集まりました。 コロナ禍なので、滞在時間も短かったのですが、特別展示で、新芦屋古墳の今までに分かっていることについてと分かっていないことについての展示があったので、そこを集中的に見学しました。 調査で見つかり展示されていた石棺の一部は、普通に加工された石の板にしか見えず、それが石棺のどの部分だとどうやって見

          吹田市立博物館にいってきました

          「山田をもっと学ぶ」とこれから

          ここのところ、山一公民館のイベントに参加することが増えました。 そのひとつが、「山田をもっと学ぶ」という講座です。先日7/14に開催され、参加してきました。 でも、実は「山田をもっと学ぶ」には、もっと以前から申し込みをしていたのです。 ・山田をもっと学ぶに参加した理由 なぜ申し込みをしたかというと、それにはわが家の事情がありました。 私の夫が普段から、「万博記念公園のところって万博開催の前は山だったの?畑だったの?」とか、「この道は旧の道だけど、昔はどの道とつながってたんだ

          「山田をもっと学ぶ」とこれから

          山一すこやかウォーク「千里をあるく③」に参加しました!

          7月11日(日)、山一公民館(大阪府吹田市山田東)主催のすこやかウォークというイベントに初めて参加してきました。 今回は千里をあるく③ということで、山一公民館の館長がガイドになって、千里中央駅~千里アートロード~新田~竹見台~桃山公園というコースをめぐりました。 千里ニュータウンとなった地区のほとんどが、開発前は山田村でした。(山田村はとても広かったのですね!)津雲台は九十九(つくも)、藤白台は藤白(とうしろ)、古江台は古江など、山田村の当時の小字(こあざ)を元に地名が付け

          山一すこやかウォーク「千里をあるく③」に参加しました!

          山田の権六(ごんろく)踊りって知ってますか?

          「7月6日に万博公園の開発についてのお話し会をする」と企画して、そのことを山一公民館の館長にお話しにいった数日後のことです。 公民館で、権六踊り保存会の方々が集まっての権六踊り鑑賞会がありました。 権六踊りって、きいたことありますか?青山台に住んでいる友達に話しても、「え!ごんろくって人の名前なの??”ごーろく(5、6)おどり”って聞こえた。」と言われたほど、この山田地区に住んでいなければ聞いたことのない名前ですよね。 以前は旧三島郡の他の地区でも踊られていたようなのですが

          山田の権六(ごんろく)踊りって知ってますか?

          「万博記念公園駅周辺の開発についてのお話し会」いけぶちさんからのご説明

          7/6に開催した、「万博記念公園駅周辺の開発についてのお話し会」において、いけぶち佐知子議員が、作成された資料をもとにお話しくださいました。その内容を、ご了承を得て、公開いたします。 万博公園のこれまでの経緯万博記念公園のこれまでのことについて時系列でまとめてみましたので、ご覧ください。 1970年に日本万国博覧会、エキスポ70があり、その後、万博跡地である万博記念公園を国の独立行政法人が管理運営してきました。 そして、国が独立行政法人を廃止し民営化の方針を示したことか

          「万博記念公園駅周辺の開発についてのお話し会」いけぶちさんからのご説明

          吹田山田を大切に思う会です!

          はじめまして!吹田山田を大切に思う会の瀬戸口です。 まず、大阪府吹田市にある山田という場所をご存知ない方に向けて、山田のことをご紹介しますね! 大阪府吹田市には、山田という地域があります。 この地域は、大変古くから人が生活を営んでいた場所で、歴史ある街並みと文化を継承するところと、昭和30年代の千里ニュータウン開発やその後の万国博覧会の開催に伴う大規模開発で大きく変化したところをあわせ持つ、自然環境に恵まれた豊かな場所です。 私はここに住むようになって十数年ですが、子どもの

          吹田山田を大切に思う会です!

          市民発「万博記念公園駅周辺の開発についてのお話し会」を開催!

          2021/7/6 10時~11時、オンラインで、「万博記念公園駅周辺の開発についてのお話し会」を開催しました。 開催のいきさつ6月20日に、吹田市議会議員の会派「市民と歩む議員の会」の市民向け意見交換会にオンラインで参加し、万博記念公園の土地についての扱いや、大阪府による「万博記念公園駅周辺地区活性化事業」の内容などの説明を聞いたことが、きっかけでした。 これをもっと地域の方に知ってもらいたい、そしてみんなの思いを話せる場所をつくりたいと思ったのが、会を開催しようと思ったは

          市民発「万博記念公園駅周辺の開発についてのお話し会」を開催!