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父と幼き私と、かしわ弁当の話

かしわ弁当・・・
私が幼稚園の頃、父も母も経営するゴルフ場で共働きをしていた。そんなわけで幼稚園がお休みの日は、その敷地内に解き放たれていたわけで。暇を持て余す幼稚園児。そんな私を見てなのか、おとんは言いました。「ちょっと弁当、買ってきて」。コ、コンビニに行ける!!!幼き私は目を輝かせるわけです。でもまあ一人で行かせてもらえるわけもなく、当時働いていた顔も名前も覚えていないバイトのお姉さんとともにお使いに走ることとなるのですが。ここにミッションワードがプラスされます。

「かしわ弁当以外で。」

「うん!!!わかった!!!!」よくわかってないくせに、返事だけはいっちょ前にしてお使いスタート。父よ、幼稚園児が〝かしわ〟というワードを知っていると思うなよ。知っているのは〝にわとり〟くらいだ。園児の語彙力なめるな。そして見事に自分目線で弁当を選ぶに決まっているだろう。私が選んだのは大好きな唐揚げ弁当だ。どどーん。

見事NG通りの弁当を買ってきた幼き私から、それを受け取った時の気分はどうだったんだろうか。特に何も言わずに父は、それを受け取った気がする。父はこういう時、何も言わない人だった。そう、とても激甘だった。そんなわけで私が〝かしわ〟が鶏だということを知るのは少し先の話になる。衝撃的すぎて忘れられない記憶。

いや、そこは言えよ、おとん。
でも優しいのね、おとん。
あの唐揚げ弁当、どうしたんだろう。

なんて考えが巡るけど、これは父が鶏を嫌いな理由を知るきっかけになった。父が鶏を嫌いな理由は、実際にその手で鶏を殺める経験をしているからだと思う。本人から聞いたことはないけど、そうなんだなあと結びつくのはこれまた少し先の話になるのだけど。私が幼い頃、祖父と祖母も同居していた家の庭には、ある時期にだけ鶏が敷地内に解き放たれていて、これがどういうわけかXデーを迎えるといなくなる。「鶏どこにいったの?」「車に轢かれちゃったよ」なんて毎年信じるはずがなかろう。ああ、きっとあれは殺められたんだなあ。そんなことに気づいたのは小学生ごろだったと思う。祖父は戦争経験者で、そういったものに耐性があったと思う。だけどおとんには無理だったと思う。なんかこれ、流行りの梨泰院クラスにもあるよな、そんなエピソード・・・おとんは情に厚く、優しい人だった。でも普通に鶏肉以外はの肉は食ってた。うん。そんなもんだよね。

#エッセイ  

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