死にたくなったときの反応とライフハック(watoの場合)

昨年のnoteを振り返って、色々とつらかったなーと思い返し、その時の自分の状態とそこで得た気づきを書き留めたいと思います。「うつは心の風邪」というそうですが、確かにしっくりくる表現だと実感しました。うつ、と診断された訳ではないですが、明らかに「気持ちが落ち込む」とは異なる状態でした。その時、「死にたい」について考えたので、まとめました。今、2019年の私と似た状態の人の気持ちが楽になれば幸いです。

「死にたい」という言葉は気軽に使われる

テストがうまくいかなかったり、仕事でミスをすると、「死にたい~」ということはないでしょうか。この精神的苦痛をなしにしてしまいたい、という安易な発想から、よく使っている気がします。

本当に「死にたい」人は発さない

逆に自分がいざ死のうと思ったときに、わざわざ他人に言うでしょうか。「やめときなよ」と意志を揺らす言葉や、「ヤバいやつやん」と思われるリスクを負って言う人はいないでしょう。むしろそれを隠すために必死です。明るいキャラでやってきてたらなおのこと、人との接し方に気を使います。「昨日まで何ともなかったのに、いきなり姿を消した」みたいなことが起こるのは、このせいかーと当事者に近づいて気づきました。

目的化するとどうなるか?

死にたいと本気で思った瞬間から、「じゃあそれを成し遂げるにはどうしたらいいか」という思考になります。他のことでもそうですが、本気になるということは具体的にそれを計画し、日々の行動を行うことです。

気になるから調べる、寄ってくる

まず、どんな死に方があるのかリサーチしました。私はひたすら孤独死の記事を読み漁りました。自分でも変なことやっているな、と思いましたが、これはすごく為になりました。一般的に考えられているような死に方ができるわけじゃない。3か月前まで一人暮らししながら社会で働いていた人が、持病が悪化して働けなくなって、身内がいるのに一言、「働けなくなった」といえずに、亡くなって溶けていく。身内が一人もいなくなって、彼氏とも別れて、一人暮らしの中突然死する。ここで私は腐臭を漂わせて死ぬのは嫌だなと思った人達が森や海に行くんだないう感想を持ちました。

また、年齢が近しい人が亡くなった事故や事件に敏感になりました。特に私が覚えているのは2つ。1つは、北の方で家出した少女が船で補導されている途中に、海に身を投げた事件。ずっと、曇り空の中、船頭にダッシュしていく背中がイメージされて離れない。もう一つは、工事現場から落ちてきた足場によって、26歳の男性が亡くなられた事故。この頃、ちょうど職場へ向かうビルが工事をしていて、落ちてこないかなとずっと考えながら出勤していました。以来、男性はもっと生きたかったはずやろ、本当にそんなこと考えるのやめよう、と思いました。

献血する

これはどのように死のうか考えたときに出てきたライフハックなのですが、献血に行きました。最も迷惑をかけない死に方を考えたときに、冷凍保存が良いのではと思いつき、そこから肝臓などを提供できたらいいんではないかと思ったのです。そしてすぐ手軽にできるのが献血だ!とひらめきました。もともと注射は嫌いで1回も行ったことが無かったのに、どうせ死ぬしな!と思うとあっさり、むしろいい気持ちで針と向き合えました。献血ルームでは、献血をライフワークとしていた男性が、不慮の事故で亡くなったけれども、周りの人がその意思を引き継いでいるという話が流れていて、それは素敵だと感じました。また、全く自分は能力のない人間だと思っていても、他人に貢献できたという自己肯定感が得られるので、健康で献血基準を満たす身体をお持ちの方にはおすすめです。

被験体の自分と納得の手段

嫌なことがあったとき、「あ、こういう事象が起こると自分はこういう態度になるんだな」と分析し始めます。「自分」という被験体の状態を分析し、なぜそんな状態なのか過去や占いや境遇から因果関係を見つけ、自分を納得させてみようとします。対処療法ではありますが、私は性格占いがしっくりきました。結構当たっていたので、自分のことを理解してくれているように感じられます。

相談するという壁を超える(確率を上げる)

「相談」は重要なことであればあるほど、私にとっては難しいことです。気軽に話せる友だちが近くにいないということが、これほどクリティカルなこととは、一人暮らしを始めた頃には思いつきませんでした。仕事の深い悩みが話せないのはつらい。職場の人と話すと、努力不足や仕事のやり方の指摘を受け、さらに嫌な思いをするのではと、怖いからできませんでした。

「ただ聞いてほしい」というニーズが満たせない。どんどん膿がひどくなっていく。でも切開できない。となったら、相談できる確率を上げるしかないと思いつきました。実際、私がそんなに行動したことはないのですが、「この人だったらOK」という友だちを決めました。すると、本当に発作的にしんどくなった時、電話して心を軽くすることができました。誰にかけるか迷っていたら連絡しなかったかもしれません。

また、奇跡的に人事経験のある方と面談できる機会があり、そこで2時間程度、わーっと悩みについて話せたことで、パっと視界が開けました。時と巡り合わせが壁を超える秘訣なのかもしれません。

根本的に治療できる薬はないけれど

一度、抗不安薬に頼ったことがありましたが、痛み止めと同じで一定期間しか効きませんでした。献血と占いが自己肯定感を高めてくれたことを考えると、自分の実力以外で誰かの役に立てたり、自分を認めてくれることが救いになれそうな気がします。また、同じような境遇の人の話も救いになりました。バリキャリっぽい人の記事を読んでいたら、その中に適応障害になった話があって、「こんな人でもそうなるんだ」と衝撃を受けたことがあります。まさに、誰でもなる風邪なんだなと、なんだかすっきりしました。
そして最も良かったのは、悩みや今の気持ちを人に聞いてもらうことです。共感までいかなくても、「あなたはそう思ってるのね、なるほど」と言ってもらえることが本当に気持ちを軽くします。
もちろん、これは個人の体験ですので、少しでも異常を感じられたら、心療内科に行ってください。何ともなくても、大事を取るに越したことはありません。

time well tellを信じる

2019年、ほんとに嫌な思いをした。「つらい」と感じる自分でいたらあかんやん、ただの努力不足なだけやのに、みじめやし、社会的に負けてると思われる、と自分をなじっていました。そこから、そうなっている自分をまず「認める」という考え方に徐々にシフトさせていき、上記のように対処しました。悩みがなくなったかといわれたら、全くそうではないですが、自分でコントロールが効かない感情、というのは収まりました。今読んでくださった方は少なくとも、「調べる」をされていらっしゃる方だと思うので、私と同じく時と巡り合わせによって、パッと視界が開ける瞬間があります。 

経験から得たこと

あと、この経験はいい人生を生きる上でいいことだと考えるようになりました。なぜなら、嫌なことがあったとき「どうせ去年死んでたしな!」という魔法の言葉が使えるようになったからです。生きてるだけで丸儲けと同じ感じで、不安や否定したい感情を抑え、妙な納得感を与えてくれます。

また、同じような境遇の人のことを理解することができます。如何ともし難いつらさは、本人の意思が原因ではないし、そう思ってしまうあなたは悪くない、と言えます。ただ話を聞いて、頷いてあげたい。実体験があるからこそ、相手も話しやすくなることがあるはずです。

最後に

あくまで個人の体験と意見です。悩みやそれにあった解決方法は人それぞれでしょう。でも、多くの体験を聞くことで、自分に落とし込める情報が見つかると思います。死にたいと考えることは悪いことではないと私は考えています。生死という重要な事柄に真剣に悩むことは、人生に向き合うことと同じで、素晴らしいです。あがいていれば、時が解決します。自分でもパっと視界が開けたとき、びっくりしました。自分の努力でどうにかした訳でもないのに、いきなり世界が変わりました。そこから、友だちにあって、幸せな話聞いて、生きててよかったって実感しました。

あなたもそうでありますように。

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