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エンデと出会い直そうかな、と思ったはなし

今日は、友人たちやその家族、1歳からteenまでの子どもと、ソーシャルディスタンスに気を配りつつの稲刈りをしたのですが。
友人と、単純作業の時は手元のことだけに集中したほうが遠くまで行ける…ということの引用で、『モモ』の話をしていて。ふと「それなんの話?」とはたで聞いていた人に言われて、「ミヒャエル・エンデって説教くさいおっさんの書いた小説の話」という言葉がペロッと、ホントにペロッとわたしの口から滑り出たのですね。
わたしはエンデの書いたものは『はてしない物語』と『モモ』と『ジム・ボタン』シリーズくらいしか読んでいないので、すべて中学生くらいまでの読書体験なのです。つまり、その当時のわたしは「エンデってなんか、押し付けがましいな、こいつはわたしの仲間じゃない。」って思って、彼の書くものを読むのをやめたわけです。
で、そのあと、午後になって、それこそわたしがエンデを読んでいたような年頃の子が、いかにもその年頃らしい言動をしたとき、わたしはなんだかしみじみと「人間にも時期があるんだよなあ」と思ったのです。
草取りのときはレースの襟飾りのようだった花から、稲刈りの今は朱色の綺麗な実が実った烏瓜のように、人間にも季節がある。
そしたら、エンデが胡散臭いおっさんに思えたのも「その当時のわたし」の気持ちであって、そのまま持ち続けるべきものではないのかもしれない。今は少し違って感じるかもしれないなあと。
まあ、そんなわけで、この冬はエンデの書いたものでも読んでみようかなと、考えた次第です。
実際に読んで変わったらご報告します。

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