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この国で中年であるということ

最近気がついたのだが、久しく人から注目をされていない。
おばさんというのは、この国では最も価値のないいきものだ。

しかし逆に、仕事では、私のすることは十分に会社にも上長にも同僚にも部下にも意味があり、幸か不幸かコロナでオンライン就業がメインなので、私が何者であるかはあまり注目されずに、今私がしていることが、入社2年目から徐々に意味を成してきている。

昔から、仕事だけはそれなりに評価を得てきた。
やっかまれて足を引っ張られたり、方針が合わずこちらも何もできなかった場合を除いて。

結局私の存在というのは、ビジネス的成果においてのみ意味があるのかもしれない。昔から、頭の中身だけが取り柄だった。それをして「社会の歯車」といえばそれは正にそうだ。

でも実質的に、私がそれで満足してしまっているのは、なにか問題なのだろうか?
人の役に立ちたいという希望を持って社会に出た以上、何らか貢献できているならそれは喜ばしいことだ。

もっと大きいスケールに行きたい気持ちは今後に活かすとして。

夢も見はするけれど、それが夢であることを知っている。

それがこの国で中年女性であるということなのだとすれば、私は模範的だ。

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