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老活としての知的活動

友達と話していて、もうずっと、つい簡単なものばかり読んでしまっているけれど、まだそれなりに先が長いので、それを生き抜くための知力を維持するためには、ちゃんとしたものを読まなくては!という危機感をお互いに抱えていることがわかり、大いに共感した。

たくさん読むのももちろん大事なことなのだけれど、おそらく、若くて何の素地もない時に大量のインプットをするのと、色々、少ないながらも知識や経験がついた今、きちんと思考力を維持(あわよくば増加)するための読書は、おそらく多少位相が違う。
じっくり取り組むべき本と向き合う、ということをしばらくしていないので、そういうことをした方がいい気がするのだ。
なにより、思考力が落ちているような、うっすらとした危機感も手伝って。

あとは、自分がつくづく、昔得た知見については、きっかけはないとアップデートできないということに気がついたので、知ってるつもりで放置しているあたりにも手を伸ばしたいな、とも思う。

ずっと宿題になっている、自分に理想を持つ、ということにもつながるかもしれない気がしていて、まあつまり、時間の使い方を再考しなくては、と考えた次第。

17年と半年共に過ごした猫が急死したことで、ありとあらゆることがどうでもいい気がしているのだけれど、自分の人生は続くね、ということについて人間と共感するのは、少し気力につながるのもまた良かった。

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