僕の細道(本編)① かるみ
『古池や 蛙飛びこむ 水のおと』 芭蕉
芭蕉が奥の細道に旅に出る三年前に詠んだそうです。
ほとんどの日本人なら知っている芭蕉の最も有名な俳句
この句は「蕉風開眼」の句とも言われている
実はこの句は「蛙飛びこむ水の音」が先に浮かんで後に推敲を重ね「古池や」としたと、どこかに書いているそうです。
と言うことは、この句は風景描写をしたのではなく心象風景を映し出し、哲学的な広がりを与えた句ということに、、、
確かに、風景描写をならば「古池に…」になる。
滑稽を趣にしてきた俳諧に古来の短歌の風雅や教養を加え発展させてきた芭蕉に大きな転換を与えた句といわれています。
この頃より芭蕉は【不易流行】を唱え
その実践を踏まえ奥の細道に旅立ったとも言われています。
『不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず』
「不易」変わらないもの「流行」変わるものとのせめぎ合いの中で発展して行くという芸術論?
そして今から三百数十年前の江戸時代、弟子(曽良)を一人従え
古来より読まれし歌枕を、そして各地の門人を訪ね五ヶ月間に渡る旅に出たのである。
その旅を経て芭蕉は自身大きな発見を得た
後生、説いて回ったと言うのが【かるみ】?だそうで、、、
「重み」の反対語である。
重く悲しい現実を敢えてさらりと詠むとでも訳せばいいのでしょうか?
オイラにゃ、何のことかもうチンプンカンプンですが、、、
時に芭蕉47歳、死の4年前である
当時としては高齢であり死出の旅立ちとの覚悟は必要であったでしょう
ちなみに『奥の細道』が発表されたのは芭蕉の死後。
死ぬまで手元に置き推敲を重ねたという
つまり日記とは違い事実とは異なる創作もあるが逆にそれは単なる紀行文を超え文学に昇華し
今日に至るまで後世に多大な足跡を残したわけあります。
そんな命懸けの偉大な足跡を余りにもかる~い気持ちで巡ります。
『薫風に 誘われ何処(どこか) かるみ旅』 無精
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