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ちゃんとしていないのがちゃんとした小学生男子、だと思いたい

「もーっ、ちゃんとして!」

となりでお弁当と食べていたママが可愛い声でそう言い、言われた本人は全く気にする様子もなく、床にこぼれたご飯粒をひょいぱくっと口に入れて「でへへ」と笑っていた。
キミ、そういうとこやぞ…と内心思いつつ我が子を見れば、おしゃべりに夢中になってお弁当がまったく減っていなかった。
(そして時間切れになり、お弁当を半分残し「もうあんたに二度と卵焼き作らないから!」と帰宅後私にキレられることになる。)

子どもの習い事の集まりで、小学生男子3人が集まってお昼を食べていた時の一コマである。
この教室でしか会わないお友達と、お昼休みにみんなで円座になってお弁当を食べる。それだけで楽しいのだろう。

楽しいのは何よりだが、度を過ぎると上記のように「ちゃんとしてっ!」を浴びることになる。
もちろん彼らは1ミリも堪えない。

「なんかもう、小3ってこんな感じなんですかね。うちだけ?全然ちゃんとしてなくて。」

可愛い声のママが眉を下げてそう言うので
「わかります。うちも同じですよ…」と深く深く頷いた。

―ちゃんとしなさい

これまで幾千幾万もの養育者が口にしてきたであろうこの言葉。
育児や保育系の本を読むとだいたいよくない言葉がけの例として書かれていることが多い。

曰く
子どもにとってちゃんとする、という状態とはどういう意味なのでしょうか。
ちゃんとする、というのは大人の都合であって、子ども本来の姿として云々
何をどう「ちゃんと」すればいいのか、漠然とした声かけでは伝わりません 等々。

そうなんです分かってるんですちゃんとしてって一言じゃぼんやりしすぎなのもちゃんとしてないことが悪いみたいなの良くないなってこともぜんぶ分かってるんです、でも。
一息でちょっと反論させてほしい。

「ちゃんとして」に含まれる意味は、私の場合
・脱いだ靴下は床にころがさずに洗濯籠にいれようか
・お風呂から上がったらきちんと拭いてくること、決して背中びっちゃびっちゃのまま、着替えを小脇にかかえて全裸でリビングにこないこと。せめてパンツは履こうか。
・パルムを食べたら口のまわりについたチョコレートを拭うこと。拭いたティッシュはちゃんとゴミ箱に捨てること。間違っても、友達と遊んでくると口の周りを汚したまま外にでないこと。
・金曜日に水筒を学校に忘れてこないこと

等々、具体的にあげればきりがないので、疲れやすく雑事に追われまくっている身としては、そのすべてを込めて一言「ちゃんとして」で済ませるしかないのである。
そして言われたほうもおそらく半分くらいは、なにをどうすればいいのかはわかっているはずなのだ。

分かっていることと、やることとはまた別次元の話。
それが小学生男子という生き物なのだろう。
納得したところで「もーしょうがないんだから」なんてことにはならないけれど。

ろくにお弁当も食べず、彼らはいったい何を一生懸命話していたのか。
議論の内容は
1,ドラえもんの道具を使って銀行強盗するにはどうすればいいか
2,素手で猿を倒すにはどうしたらいいのか
という、およそ実生活に必要のない話だった。

1の議題は隣で静かにお弁当を食べていた小4女子の
「そもそも本当にドラえもんがいたら、お金なんて必要ないじゃん。」
という冷めた一言で終わった。

2に関しては、まず道でうんこして猿をすべらせ、そのすきにチンチンを狙ってパンチすれば勝てる。駄目そうなら武器屋まで走って武器で戦えば大丈夫、とのことだった。
コンビニみたいに武器屋がある世界線に生きているようで、他にも策はあったが、ほぼ下ネタで構成されていた。

その後、水筒カバーで綱引きしようぜ!とひっぱりあいを始め、怒られたところで昼休みは終了となった。
医療も科学も育児論もIT化も、いろんなことが進歩しているというのに、小学生男子というジャンルの、この発展のなさは一体なんなのだろう。

ちゃんとした大人になれるのだろうか…とふと不安に思うけれど、とにかく元気で楽しそうにしているだけで、今はいいか。
…などと思えるはずもなく、半分諦めの気持ちで
「ちゃんとしていないのがちゃんとしているのかもしれない。」
というよく分からない納得をするしかない日曜日の午後だった。

夏休み、早く終わるといいですね…。

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