見出し画像

音楽作品としての『ONE PIECE FILM RED』感想

2022年8月29日に、ぷらいべったーに投稿したものの再録。Blu-ray発売決定に寄せて。

呪術廻戦0の映画を見に行った際の宣伝でワンピースの新作映画の存在を知った。「その歌声は、天上の楽園(ここうろ覚え)か、永遠の牢獄か」このコピーを見た時、「あー歌で聴衆を天国みたいな世界に閉じ込める能力者が敵なんだな〜」と思って、ぶっちゃけ実際のあらすじもこの通りだった。シャンクスの娘って言ったって血は繋がってなくて、たまたま引き取るとか拾うことになっただけだろう、という予想もその通りだった。
だがこの映画は、音楽をメインに使った映像作品であると同時に、正しく音楽を描いた物語であると感じた。後者は予想だにしなかったことであった。

ワンピースに関しては昔はちゃんと読んでいたがここ数年はわりとちんぷんかんぷん(「オマツリ男爵」とそのちょっと前くらいは映画も見に行っていた)で、今年も映画やるんだなふーんくらいの感覚であった。しかし中田ヤスタカさんの音楽が大好きなので、氏の新曲+最近話題のAdoさんが歌うということで聴いた『新時代』の完成度の高さに度肝を抜かれ、これ大スクリーンで見たい聴きたい!となった。
ネタバレは見なかったが、公開されたMVは全部見た。どの曲もすごく素敵で、Adoさん歌うま……と改めて感じた。ウタちゃんもかわいくて映画見に行くのが楽しみだったが、先に見たフォロワーさんの感想でいまいちだった的なものもちょこっとあったりして、まぁ期待値低めに……あと突然幼馴染生えてきたらもやるのはめちゃわかるな……とかも思ったりした。

で、実際見たらびっくりした。
まず冒頭から『新時代』のライブ。実際のライブのような映像感でとても興奮した。この曲、イントロの透明感ある歌声(Adoさんこんな綺麗な声出せるんだな……)でいかにも天使の歌声ぽさ出してからの映画向きなシネマパーカッションとブラスの低音、そこへ中田さんぽいシンセが入るところがとてもアガる。Do you wanna 〜?ら辺のフレーズの音ハメの気持ちよさ。「僕を信じて」ちょーかわいい。いやほんと曲も歌も本当に良くできてる。映画館の音響でドラムの低音響くのが本当良い。
この調子で全曲語るとウザいので割愛するが、全ての楽曲が、楽曲だけ聴いてもMV見ても素晴らしいんだけど、実際映画内で流れると演出・タイミング・アレンジが全て意味があって、劇中流れてこそ、まさに「これぞ劇伴」。劇伴作曲家目指していた身としては、素晴らしいもの聴かせてくれてありがとー!て感じ。
歌詞も『新時代』『私は最強』『逆光』『ウタカタララバイ』(『トットムジカ』はまた性質がちょっと違うので)はあくまでウタの身から溢れ出す思い・激情・叫びみたいなものの発露としての歌的なところがあったのが、『世界のつづき』『風のゆくえ』はこう、彼女の未来への祈りと聴衆への優しい呼びかけを含む歌なのが……。

音楽やってる人なら、災害とか、戦争とか、そういうものが起きた時、自分には・「音楽には」こういう出来事に対して何ができるだろう、て考えたこと、あると思う。東北の大震災の後、いろいろ考えてしまって一時的に曲が作れなくなった知り合いもいた(私はかなりそのあたり鈍いけど)。
音楽では腹は膨れない、命は助からない。人はパンのみでは生きないが、まずパンがなければはじまらない。音楽はわりと無力。でも、じゃあ、本当に音楽に人を幸せにする力があったら……?
ウタの能力ってそういうイメージなのかな、と思った。そして彼女の力と思いと破滅の姿は、巷に溢れる「歌の力」「音楽で世界平和」「No Music , No Life」みたいな耳障りの良い言葉に対する強烈な皮肉であり、同時にエールであると感じたのだ。

音楽家の音楽家としての傲慢さ、純粋さ、危うさ、「業」。ウタはその体現だ。ウタだけではない。
エレジアにあの晩「トットムジカ」の楽譜をいつのまにか呼び寄せてしまったのは、ウタの素質はもちろん、ウタにたくさんの楽譜を渡してさまざまな曲を歌わせたエレジアの音楽家たちのある種の呪いと思い(無意識の)ではないかと思わずにはいられない。ゴードンも、楽譜を捨てることができなかった点を音楽家としての業のような描かれ方をしている。また彼はウタの力を怖れはしたが、音楽家として、彼女を歌手として育て上げることに手は抜かなかった(恐れから人目に晒すことはしなかったが)。

ミュージックカルチャーの歴史がドラッグと無縁ではないことも、この作品では明確に描かれている。ネズキノコ。自分の体力のなさが悔しい・寝ずに曲を作れたら?そう考えたことのある作曲家は多いのではないだろうか(私もそう)。もちろんふつうそんなものに手は出さないが、音楽家の狂気的な側面だなぁと思う。
『ウタカタララバイ』の演出はド・サイケデリックであり、もはやラリっているウタの精神とサイケデリックミュージックがシンクロするようだ。

ゴードンが、ウタの歌声を天使と評する。天使の歌声と聞くと、ただただ美しく透明で、讃美歌を歌う印象を受ける。だがAdoさんの声質は違う。力強く、ただ天に昇る声ではなく、人に届く声だ。このAdoさんの声質と歌唱力が、作品の説得力となっている。「天使とは美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者のことだ。」ナイチンゲールの言葉。まさにウタの歌声は天使の歌声であり、そして終末を齎す黙示録における天使のラッパであるのだ。
聖書繋がりでもうひとつ。
「羊の番をしなきゃならないから帰らなきゃ」(うろ覚え)ウタのライブを帰ろうとする聴衆のセリフだ。羊。聖書によく出てくる動物だ。群れで動き弱く羊飼いの指示に従って動く無力ないきもの。人が皆羊であれば、神を羊飼いとして平和な世界は保たれる。ウタワールドの神はウタだ。聴衆は羊だ。ウタワールドで羊として生きていけば、新時代で平和に過ごすことができる。だが、彼らは人間だ。羊飼いなのだ。羊であり続けることはできない。
ウタの世界は、破綻している。

自分の歌いたいように歌っていれば良かった幼少期と違い、ウタは、外の世界を知るにつれて「皆」の為に歌うようになる。皆の声と感想をフィードバックして、「海賊嫌いのウタ」として歌うようになる。けれど彼女はその育ち故インプットが少ない為に、先に書いた通り自分の感情を歌にするしかない。皆のために歌うのに、自分のことばかり歌うことなる。ふつうは破綻するが、彼女は天才で、それが成り立ってしまう。しかしその行為は確実は彼女を蝕んでいったように思う。その果てが今作での騒動だ。
ある意味ウタは才能の被害者であるように感じる。音楽の神様はひどく残酷だ。これはありあまる音楽の才を注がれたひとりの少女の、苦悩と破滅の物語だ。
しかしその破滅の最後、救いとなるのはルフィとシャンクスの思いだ。ウタが歌うとみんな眠ってしまう。ウタワールドですらウタは聴衆をぬいぐるみに変えてしまったから、ウタはひとりだ。ウタはひとりぼっちで歌い続ける。けれど彼女は本当にひとりぼっちではない。ルフィがシャンクスが、赤髪海賊団の仲間が、ウタを想っている。ルフィを現実世界で刺し殺そうとしたウタを止めたのは、現実世界のシャンクスの手だ。人は精神のみでは生きられない。精神を拠り所に、しかし現実の物質に生きる存在である。ウタが最後まで彼女にとっての現実の象徴としたのは、シャンクスであったのだろう。
ウタの育ての親であるゴードンも、立派な父親と評されていることも印象深い。彼は音楽家であることはやめることはできなかった(トットムジカの楽譜を捨てることはできなかった)が、ウタの父親としての役割と、亡き国民の意志を継ぐ国王としての役割を果たしたのだ。

最後。ウタはおそらく死亡しているが、ウタの歌は残り続け、世界中でそれは聴かれている。ウタは歌の中に生き続けている。これこそ音楽家冥利に尽きるというものだろう。

総じて素晴らしい映画だったし、個人的にはかなり刺さる作品であったことは間違いない。

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?