瀬尾まいこ『そんなときは書店にどうぞ』|第六回 「水鈴社の夜明けぜよ」
『夜明けのすべて』の夜明け
本屋大賞授賞式後、タクシーの中で敏腕編集者Sさんが、突然熱く語りだしました。
酔っておられたので、話があっちこっちに飛んで、「ぼく、メダカ好きで3000匹飼ってるんですよね~」という「あ、そうなんですね」という答えしか浮かばない話をされ、「ぼく、蘭もたくさん育ててるんですよね」というやっぱり「あ、そうなんですね」と答えるしかない話をされ、「布団が吹っ飛んだ」という、え? 突然どうした? 誰かお呼びしましょうか? と心配になるダジャレを発した後、出版への思いを語られました。
ダジャレ部分をそぎ落とし、私の作家としての力すべてを使ってまとめると、「大きな会社にいると一年に何冊も本を作って売らないといけない。ぼくは本当に届けたい本を、もしくは本当に求められている本を、大切に売っていきたいんです。だから出版社を作ります。今はネットやアニメやゲームや、本よりおもしろいと思われている物がたくさんあるかもしれない。でも、ぼくは本に救われてきたし、もっともっと本の面白さを伝えたいんです」と言われました。
あのダジャレまみれの話をまとめるの、めちゃ力使ったわ。この力で3冊本書けそうやったわ。
その時、本屋大賞で書店員さんの情熱をバリバリに感じていた私は、(私、お酒飲めないんですけど、人の熱意を受けると、酔っ払う以上にテンションってあがりますよね)「そうですよね! そうです! やりましょう!」と、うなずきました。
「そのためには原稿が必要なんです」とSさんは言い、「書きます、書きます!」と私は答えていました。
そして、ダジャレ(私は我慢して聞くだけです。つらかったわ)と、出版への思いをやり取りしている間に、『夜明けのすべて』という本が完成しました。
この『夜明けのすべて』は映画化され、2月に公開されます。
先日、見せていただいたのですが、大げさなものではなく、私たちのすぐそばにある光で包まれたようないつまでも見続けていたくなる心地よい映画でした。
映画って見るのに、少しパワーが必要だったりしますが、どんな心の状態の時でも触れたくなる優しい作品です。
出版社の立ち上げの第1作にさせていただいたことは、すごく誇りです。
出版業界のことはよくわからないのですが、そうそう出版社って出来上がらないでしょうし、私の作品を第1作にしたい人などいないだろうから、今後このような機会はないだろうし、今も水鈴社さんは大好きな出版社さんです。
物語のリレーをつなぐ最終走者
ダジャレ社長は宣言通り、大事に大事に『夜明けのすべて』を育ててくださいました。
そのおかげもあり、『夜明けのすべて』には、たくさんの書店員さんからのご感想もいただきました。
私、感想文って本当に苦手なのですが、みなさん、文章がお上手で、丁寧に読んでくださっているのがわかり、そうそうそれそれ! とうなずくこと多数で、とてもうれしくなりました。
『夜明けのすべて』は、私のパニック障害の経験がもとになって書かれていることもあって、「実は私も」というご感想もありました。
そうなんですよね。たいへんなんですよね。生きるのって。
でも、そこにたまたま物語があって、何かの瞬間に、手を触れられたことで明るい光を一瞬でも感じていただけたらどんなにいいだろうと思います。
私自身は読書家ではなく、本に救われた経験はないんです。
でも、皆さんのご感想にこそ救われました。
小説を書く仕事、時折、うっかり一人でやってると思いそうな孤独に襲われます。
もちろん、編集者の方も連絡をくださいますが、だいたい半年に一度くらい用事のメールが来るくらいで(別にそれでいいんです。そのほうが気楽なので)、私一人で何してるのだろう。こんな話書いてて、誰か読んでくれるのだろうかとなる時もあります。
そんな時、書店員さんのご感想を読みます。
私が書いた物語は書店員さんがつないでくださるんですよね。
私が第1走者で、アンカーが書店員さん。
第3走者くらいにカルカン先輩(あ、クレープ屋寄らずに走ってもらっていいでしょうか。そこの和菓子屋も立ち止まらないで!)。
読者の方に届くまでに何人もの方がかかわってくださってるんですよね。
私もしっかり走らなきゃ。
アンカーになってくださる書店員さんが走りたいと思ってくださる作品を作らなくてはいけないんだと思います。
ちなみにダジャレ社長は頻繁に連絡をくださいます。
ダジャレ社長、すごく大豆。じゃなく、マメなんですよね(ダジャレ社長風)。
こまめな連絡だけでなく、どこか行かれたらお土産をくださるし、校正用のゲラを送ってくださる時にはお菓子を忍ばせてくれるし(お菓子大好き。水鈴社万歳!)、娘もかわいがってくださいますし、それに、いつも「瀬尾さんは有村架純にそっくりですよ」と真顔で言ってくださるんですよね。(あ、違うわ。あの人、私のことおちょくってるわ。水鈴社どうかと思うわ)
そういう些細なやり取りって、普段田舎で暮らし執筆を忘れがちな主婦業に追われる私(今日はとりあえず掃除はいいにして、2日目のカレーを温めないと! 主婦ってたいへん)には、必要なんですよね。
そういえば、以前『その扉をたたく音』を担当してくださった編集者さんも、頻繁にメールをくださいました。
自分のことを率先して語ってくださる人で、自作の歌を作った話とか失恋の話とか、私だったらお墓まで持っていくようなことをガンガン話してくださるうえに、エレファントカシマシの宮本さんの物まねも上手で、魅力的な人だったなー。
その方が下さるメール、いつも最後におすすめの曲ですって、YouTubeへのリンクが貼られてたんです。
学生の時、カセットに好きな曲入れて友達に渡した記憶あるけど、今でもこういうことする人いるんだ! と懐かしくなりました。
いい意味で編集者らしくなくて、お話しするのも気楽でやり取りも楽しかったです。
今回このエッセイを書くにあたり、確認のご連絡をしたのですが、「あの日々は青春だった」と言ってもらいました。
そのくせ、当時私が話したことをほとんどお忘れでした。
青春ってそんなもんやなー。
私は失恋話、詳細まで覚えてますけど。
ダジャレ社長、爆誕!
最後に名称変更のお知らせです。
敏腕編集者Sさんは、会社を設立されたことにより社長になられたので、これから先、ダジャレ社長と明記することをお知りおきください。
社長は、ダジャレをいつも言っておられて、それが面白かったためしがないという恐ろしい欠点をお持ちです。
ただ、私の娘のことも本気でかわいがってくださるいい人です。
本への愛情はただならぬものであり行動力があるのはもちろん、たぶん、仕事ができ、気遣いもできる人だと思います。
いつかダジャレ社長の名を返上できることを陰ながら応援しております。
瀬尾まいこ(せお・まいこ)
一九七四年、大阪府生まれ。大谷女子大学文学部国文学科卒。二〇〇一年、「卵の緒」で坊っちゃん文学賞大賞を受賞し、翌年、単行本『卵の緒』で作家デビュー。二〇〇五年『幸福な食卓』で吉川英治文学新人賞、二〇〇八年『戸村飯店 青春100連発』で坪田譲治文学賞、二〇一九年『そして、バトンは渡された』で本屋大賞を受賞した。他の作品に『図書館の神様』『強運の持ち主』『優しい音楽』『僕らのごはんは明日で待ってる』『あと少し、もう少し』『君が夏を走らせる』『傑作はまだ』『夜明けのすべて』『私たちの世代は』など多数。