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ラプラスの悪魔 天王星と東日本大震災

今から12年前の、2011年3月11日14時46分。

日本人の人生観を根底からひっくり返してしまったこの運命の日。私は震源から最も近い沿岸部の町である「宮城県石巻市」に住んでいました。

「千年に一度の大災害」とまで言われた未曽有の巨大地震。マグニチュード9.0は日本観測史上最大、世界規模で見ても観測史上第4位にランキングされるとてつもないエネルギーが放出された大災害でした。

「地球の地軸が17センチ動いた」という報道も一部にありましたから、その破壊力の凄まじさが分かりますね。

未来予測を得意とする占星術師の私が、自分自身の身に迫る大きな危機に全く気がつかないまま、世界で最も危険な「爆心地付近」にのんびり暮らしていたのですから、今にして思えば「致命的な大失態」としか言いようがありません。

ただ、少しだけ言い訳をさせてもらうならば、社会全体の運命を予測する「マンデン占星術」は私の専門外ですし、その時の私は趣味で個人鑑定を時々請け負う程度の「素人占星術師」に過ぎなかったのです。

その日は小雪がチラつく寒い日でしたが、農業が本職の私は春の種まき作業に向けて、農地で排水路の補修作業をしていました。その作業中、突然「ゴゴゴっ!」という地鳴りが周囲に鳴り響き、その直後に体が真上に跳ね上げらるような凄まじい衝撃を感じました。初期微動がほとんどない状態でいきなり「本震」が来ましたから「震源がかなり近い!」ことは直感的にすぐに分かりました。

轟音とともに立っていられないほどの激しい揺れがしばらく続き、私はその場に座り込んで身動きができなくなってしまったのです。

上下左右に揺らされた排水路からは2メートル以上の高さの水柱が上がり、近隣の住宅の窓が割れ、その窓から家財道具が飛び出し、舗装道路には次々と大きな亀裂が走りました。

まるでパニック映画のワンシーンのような早い展開で、現実感が全くありませんでしたが、「ついにこの日が来たか!」という冷静な考えも頭に浮かんでいました。もともと宮城県を含む三陸沿岸は地震が多発している地域で「30年以内に宮城県沖を震源とする巨大地震が来る」というのは、宮城県民なら誰でも子どもの頃から繰り返し聞かされている話だったからです。

ただ、この強烈な揺れは明らかに私たちが子どもの頃から想像していたのとは「桁が違う」ものでした。落下物の心配がない農地のど真ん中にいる私でさえこれほどの恐怖を感じるのですから、建物内にいる人たちにとっては「死」すらイメージさせるほどの揺れのはずです。いや・・・もうこの時点で、死傷者が多数発生しているのは明らかでした。建築基準法が厳しくなる以前に建てられた古い住宅であれば、最初の一撃で間違いなく潰れているはずだからです(実際、かなりの数の家が最初の揺れで倒壊していました)。

揺れが一度収まったタイミングで軽トラックに乗り込もうとしましたが、再び1度目を上回るほどの大きな揺れが起こり、私は車の前で四つん這いになって耐えるしかありませんでした。

この状態で車を運転したら事故を起こす危険があると判断した私は、2回目の揺れが収まってからは車に乗ることを諦め、徒歩で移動を開始しました。

家まで1キロほどの道のりを早足で歩きながら、石巻税務署に勤めている妻に電話しましたが何度かけてもつながらない・・・当たり前か。通信回線はパンク状態だろう。誰だって自分の大切な人の安否が気になるはずですから、この地域全体の人が今「片手に携帯電話」を持ってボタンを連打していることが容易に想像できます(当時は9割の人がガラケーです)。

断続的な余震が続く中、徒歩でようやく実家にたどり着くと、窓ガラスや家財道具が滅茶苦茶に散乱した家の中で、高齢の父親が「津波が来る、これはきっと大きな津波が来る」と叫んでいました。父は1960年に起きた「チリ地震大津波」で、三陸沿岸が大きな被害を受けたことを実際に体験している世代なので、かなりの確信を持って津波の発生を警戒していたのです。

確かにこれだけ強い地震となれば、震源地は相当近いはずですから、津波は「すぐ」に来ると予測できます。急いで駐車場に止めてある父親の車に乗り込みカーラジオを付けましたが、案の定、すでに三陸全域に「大津波警報」が発令され、沿岸の住民に緊急避難が呼びかけられていました。ただ、「大津波警報」なんて言葉は生まれて初めて聞きましたから、どの程度のものが来るのか想像すらできません。

マズい・・・2か月前に私と結婚して宮城県に引っ越して来たばかりの妻は「津波の恐ろしさ」を知らない。彼女は津波とは無縁の「瀬戸内海沿岸地域」の出身ですから、恐らくは津波対応の避難訓練なんて一回もやったことがないはずです。

石巻税務署は海から僅か1キロほどしか離れていない平地に建っていますから、すぐに避難しなけば危険かもしれません。

何とか妻に連絡を取らないと・・・。何度も何度も繰り返し繰り返し電話をかけ、ようやく妻の携帯とつながった時、すでに津波は沿岸部の住宅街を飲み込み始めていました・・・・。

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