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「エヴァの呪縛」という名の青春との訣別


シン・エヴァンゲリオンを観終わった後、あまりに取っ散らかった感情を整理する為、自己満足の文章を書きました。映画の感想を簡単にまとめるつもりが、思いの外長文になった上、自分の半生まで振り返っていました。ほぼ自分語りです。考察や解説の要素は無いと思います。
(自分は影響を受けやすい人間なので、この先他の人の感想に触れていく前に、鑑賞直後のフラットな自分の感想を残しておこうという保険でもあります)

本編に関するフランクな感想は最後にまとめてあります。





自分はエヴァンゲリオンや庵野監督の熱烈なファンというわけではない。


TVシリーズや旧・新劇場版は観てきたが、このコンテンツに常にハマり続けてきたという事は無い。メジャータイトルだからと人並みに履修していた感覚だったし、「シン・エヴァンゲリオン」も落ち着いた頃に観ようかな、という軽い気持ちだった。

しかし、ネタバレを警戒する人の多さから危機感に駆られ、ネタバレが流れてくる前に観てやろう、鉄は熱いうちに打てと公開前日に思い立ち、結果として最寄り映画館の初日初回のチケットを取るに至った。

そして、今回シンエヴァンゲリオンを観た事によって、自分の無意識下で自身にエヴァが刷り込まれていた事に気付いた。自分の人生、日常の端々にエヴァは存在していた。

旅先でエヴァのグッズを見かけたり、ゲームでエヴァのキャラクターを使ったり、エヴァのパチスロで勝ったり負けたり、アニメを語る時に比喩としてエヴァのシーンをあげたり、キャラクターを引き合いに出したり

好き・嫌いの話以前に、自分は自覚しようとしなかっただけで、確実にエヴァンゲリオンという作品に大きく影響を受け続けていたし、多分これからも忘れる事は出来ない。


エヴァの影響を自覚してみると、それはエヴァの呪縛だった。
エヴァの呪縛を整理してみると、それはすなわち青春の一部だった。


以下は自分語りです。


エヴァンゲリオンが社会現象と呼ばれ
人々に及ぼした影響は深い。
それはアニメを観る人・観ない人問わず
広い世代に多かれ少なかれ「インパクト」を与えた。

自分にとってのファーストインパクトは小学生の時だったと思う。
当時テレビシリーズ・旧劇場版の放映も終わり、レンタルのビデオで触れたのが初めてのエヴァだった。
キャラクターやメカは言うまでもなく惹きつけられた。
また、当時の子供にとって(大人になった今でも)難解な設定・ストーリーは所謂廚二病的な「大人」への憧れを多大に刺激された。
旧劇場版の衝撃は理解を超えていたし、良くも悪くも自分に爪痕を残した。
それでも飲み込むように繰り返し観て、理解出来ない部分も込みで好きだったと思う。

学校の友人とメカやストーリーについて語った。
アスカ派・レイ派などの答えの出ない論争を行っていた。自分はアスカ派だった。
思春期の少年は、アスカの裸やミサトさんのベッドシーンに興奮した。
皆の当時の落書きにはサキエルが高確率で居た。漫画版の初号機を模写した。
主題歌、劇伴の楽曲をMDに録音して聴いた。録音に失敗して変な所で切れる「残酷な天使のテーゼ」に笑った。
鬱で沈んでいた時「甘き死よ、来たれ」をリピートして、さらに沈んでいった。
初号機や使徒のプラモを組んだ。軟質パーツに感動した。
リボルテックのエヴァを集めた。クオリティとコスパに感動した。量産機を2個買った。


それから年月が経ち、ファーストインパクトもとっくに落ち着いたフリーター時代。新劇場版「破」に触れたのがセカンドインパクトである。
(この頃は「ストライクウィッチーズ」にドハマりしていて、今も変わらず好きで、この作品が縁で嫁さんと結婚したのだけど、完全に余談です。)

エヴァンゲリオンの新劇場版は「序」がほぼTVシリーズを踏襲したリメイクだった事もあり、正直のところそこまで注目していなかった。序はDVDレンタルで見た。
ところが破が公開され、友人に誘われるまま映画館で観たのは昔のエヴァから大きく姿を変えたヱヴァだった。
「あの」シンジ君が主人公然として綾波を救うシーンを観て、「新しいエヴァが観れる。旧劇場版で刻まれた爪痕から救ってくれる」と思い、三度劇場に足を運んだ。

冒頭から新ヒロインマリの登場、下半身が人型をしていない仮設5号機に衝撃を受けた。
「式波」となったアスカやデザインが変わった2号機に戸惑い、恋心の描写やテストスーツにテンションが上がり、初号機に蹂躙される姿で泣いた。

エヴァに再度惹きつけられたのが破だった。

なお、バイト先で知り合った友人の影響でパチンコやスロットでもエヴァに触れるようになったのもこの辺りだった。ビーストモードの演出カッコ良い。浮かぶ瀬もあれ。

しかして、3年後。今度はQによってエヴァに突き放されるのである。
破を観て膨らんだ「救い」への自分の期待は裏切られた。
唐突な時間経過。世界やキャラクターの一変。
旧劇場版のような暗い雰囲気・抽象的な描写が増え、自分や恐らく多くの人が想像していたものとは、あまりにかけ離れていた。
ある意味でエヴァらしいと言えた。
最後の3人が歩いていくシーンで希望が見えるものの、皆が抱く最終作への期待に、また新しい爪痕を刻まれるのではないかという不安を混じらせた。


Q公開から9年、エヴァとは距離が離れていたと思う。
結婚して子供も生まれ、生活環境は大きく変わっていた。
そんな自分がシン・エヴァンゲリオンの起こしたサードインパクトで
全てのエヴァンゲリオンとの決着を得ることになる。


自分にとって好きなアニメを聞かれて挙げるタイトルでは無かった。
(メジャー過ぎるという理由もあったけど)
内容について難しい考察をした事もない。全ての関連作を追っている訳でもない。一番好きだとは言えない。しかし振り返ってみれば。
自分の人生に確かに存在し、影響を与え続けていた。
そんな作品が終わった。

シン・エヴァンゲリオンを観終えて真っ先に浮かんだ言葉は
感謝と訣別の言葉だった。

ありがとう と さようなら


閑話休題


以下、本編感想です。

ところで真っ先に尿意の話は済ませておきたい。
家を出る前と劇場に入る直前にトイレに行き、飲み物も買わず、万全にしたつもりだったのに、行きたくなったらどうしようと意識し過ぎてかえって気になってしまった。冒頭12分は前日の同時視聴で観ていたので、この間にもう一度行っておこうかと思うほどに。
本編でそれどころじゃなくなって、結局最後まで膀胱は耐えきったけど、メンタルからくる精神汚染タイプの尿意もある、という教訓を得た。過剰に意識するのは駄目。以上、尿意の話終わり。


今回、庵野監督は過去のエヴァを観てきた人達(恐らく自分自身も含む)に与えた影響、爪痕とも言える「エヴァの呪縛」に誠実に向き合って、真摯に回答を用意してくれたように思う。
大きすぎる影響は良くも悪くも、様々な人生を変えてしまった。
その落とし前をきちんと付けに来た。
長い、長い、「モラトリアムの贖罪」


旧劇場版において、難解な表現・描写で困惑した部分は多かった。
ラストシーンはシンジがアスカの首を絞め「気持ち悪い」という言葉で幕を閉じる。後味悪く、しこりを残す結末も自分は好きだけど、物語として気持ち良いとは言い難かった。
良い加減現実に戻れ、と突き放すようなメッセージを持っていた。

Qでも、前作で自分が煽っておきながらシンジを突き放すミサト。
その他の誰も、何も説明してくれない。
観ているこちらも再び突き放された感覚だった。


シン・エヴァンゲリオンはそれらを昇華してくれた。


旧シリーズにおけるシンジは、主人公とは言えないような意志の弱さだった。状況に流され、最後まで自己中心的な姿は、まともに感情移入する方が難しかった。
しかし、破で自らの意思で行動を起こし綾波を救った事で観ている人も素直にシンジに共感する事が出来た。
そんな彼が今度は周囲の人間に突き放される姿は同情を誘うし、ニアサードを起こして世界を変え、槍を抜いてカヲル君も失ってしまったシンジ側の心情も理解出来る。
ボロボロになったシンジ。
今思えばこの「Q」が無ければ、「シン」でのカタルシスも得られなかった。


そんな前作までを思い起こした上で、本編を振り返る。

冒頭、パリでの戦闘シーンが終わり、廃墟を3人が放浪している姿。
重々しい雰囲気から不安を煽るものの、ケンスケが迎えに来て第三村のシーンに移ると空気が変わる。

生きていた同級生たち、成長した姿。
どんな時でも希望はある、とカヲル君の言葉が蘇る。

第三村での生活を前半で丁寧に描く事で、観る側に安心と希望を与えてくれると同時に、生きる事や成長する事について考えさせる。
ツバメの存在は命そのものを深く印象付ける。

Qでの扱いから一転して、シンジを責める事もなく、その行いも認めた上で迎えてくれる周囲の優しさが、他者との交流で傷付き続けたシンジを癒し、そのシンジの姿を観ている視聴者も癒す。

そして、立ち上がるシンジ。

決死の覚悟で戦うアスカやマリを始めとしたヴィレの面々。
我が子達を守るために己を犠牲にしてもシンジをサポートするミサト。
Qでの行動にも理由が明確になり、母親としての姿を見せた。

全ての人の思いを受けて父親と対峙するシンジ。
もはや懐かしさを感じる初号機のプラグスーツは、決着の時を予感させる。

旧シリーズでは叶わなかった、親子が正面からぶつかり腹を割って話す事。
これまで本心を大きく語る事の無かったゲンドウの独白によって、シンジと共に視聴者もゲンドウを理解する。

エヴァの無い世界へと造り変える事で、
アスカ・レイ・カヲル、全ての人々を救うシンジ。
最後は母親の助けを得て、みんなの居る世界へ帰る。

まさに、少年は神話になってしまった。
Qでの鬱積があったからこその、それらを解放するカタルシス。

そして現実に戻ってくるシンジとマリ。
子供達は大人に成長して、外の世界へ向かっていく。


旧劇場版で感じた「現実に戻れ」という突き放すようなメッセージではなく「生きる事、成長する事は悪いものではない。前を見て現実に向かっていこう」という、ポジティブで優しい回答をくれたように思う。


実のところエヴァンゲリオンという作品で、これ程までに素直で綺麗な結末を用意してくれるとは思わなかった。
本筋自体はシンプルなのにここまで大きく心が動かされたのは、登場人物やその世界だけでなく、26年間蓄積されたエヴァに感化された人達の思いを救い上げてくれたからだと思う。
この回答をくれた事には感謝しかなかった。

本当にありがとうございました。

「大人になったなシンジ」とゲンドウは言った。
Qからの9年の間に気づけば自分も親の立場になっていた。
シンジの成長に驚いたり、子供との距離感に戸惑うゲンドウや、
自分を顧みず子を救うユイ・ミサトに対して大きく共感出来たのは、自分自身の変化でもあると感じる。

小学生だった頃に出会った作品が、子を持つ親の年齢になってようやく終わった。

「子供のままではいられなかった」とトウジは言った。
自分がまだ大人になりきれていないとしても、
家族を守って生きていかなければならない。

でも生きて前に進めば、良いこともある。
どうしようもない自分も就職して仕事に就いた。
好きな人と結婚して子供に恵まれた。
そして「エヴァの呪縛」に自分は20年越しでお別れを言える。

きっとみんな、エヴァを見送りたかった。
この年月の間、結末を望み続けても観る事が叶わなかった人達が大勢居たと思う。
生きて「シン・エヴァンゲリオン」を迎える事が出来た事を幸せだと思う。

気付けばエヴァは自分の青春の一部だった。
その青春を今やっと清算する事が出来る。


さようなら、全てのエヴァンゲリオン


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~以下、フランクな感想~


冒頭
・鼻歌から始まるのは破を思い出す。ここのマリはカッコ可愛い。にゃにゃにゃにゃー
・冬月先生の用意した兵器キモい。8号機があんだけサーカスみたいな動きして、ヴンダー大丈夫なんすね。
・「駄目って言うな」「無理って言うな」マヤの成長に感動。
潔癖症で先輩大好きっ子だった彼女が男達に檄を飛ばせるほどに…
「これだから若い男は」というQでも出てきたこの台詞、後半で再度出てきたところ。エモすぎて死んだ

第三村
・アヤナミ、まさかの田植え。プラグスーツで
・トウジがカッコいいんすよ。間違いなく良い親父になるな、と
・んで委員長はね…優しいんですよ…繰り返しアヤナミにおまじないを教えるシーンがとても温かい。そのせいもあって、アヤナミが消える場面は泣いた。もっとツバメを抱っこしたかった…
・あ、委員長の授乳シーンあるよ!
・ケンスケ、サバイバルオタ拗らせるとニアサーも生き残れる。
うん、スペック高杉やない?
・ニアサーのアラサーとかヤリサーみたいな軽い語感
・グンペイやりたいグンペイ
・ペンペンもしっかり補完。彼にも家族が…

最終決戦
・JAなんとかって、ジェットアローンのパーツっすかね
・Qで一切触れなった加地さんも、きちんと消化されて良かった。
今回はミサトさんともちゃんとお別れ出来て…
・ミサトさんに子供が出来た事もあって、日向君は整理がついたのかな。
いや、そもそも新劇場版ではそんな雰囲気なかったっけか
・ミドリの存在は好み分かれそうだけど、シリアスなシーンでの良い清涼剤だと思います。可愛いしね。「激ヤバです!」
・ヴィレメンバーの出撃シーン、クソ熱い。日向と青葉のグータッチ…!
無茶ぶりするミサトに対するリツコとのやり取り。旧シリーズではネルフ内もぐちゃぐちゃだった分、ヴィレの結束感は良いよね
・リツコとゲンドウの関係性が変わった事は、ゲンドウがユイ一筋だった事を補強し、リツコ自身もミサトの相棒としての描写が補強され、とても良い相乗効果を得ている。
・冬月先生はきちんと敵対した事で、優秀な参謀としてカッコよく活躍する場面が見れた。
・ミサトさんの突貫シーン、昔の髪型にするのはズルい…
母親としてのミサトさんの姿に旧シリーズでの「結局、シンジ君の母親にはなれなかったわね」という台詞が重なり、泣く
・旧劇場版の映像(サブタイフラッシュバックさせるところ)で泣く
・クライマックスの「VOYAGER ~日付のない墓標~」。母の影響で松任谷由美は子供の頃から聴いていて個人的に思い入れが強く、松任谷を聴くと「母親」を連想してしまう。ユイがシンジを助けるシーンはそれも相まって込み上げてきてしまった。曲自体、ユイからゲンドウへのメッセージとして捉えると泣く。鑑賞後からずっと聴いてます。
・「Beautiful World」も「One Last Kiss」もシンジや色んな人物に当てはめられるけど、ゲンドウを投影した時が一番クるとは思わなかった…
・第三村で裸を見られても一切動揺しなかったアスカが照れるんですよ。しかも旧劇場版のあの浜辺で。死んだ
・8+9+10+11+…雑に消化されるその他ゲリオン
・終盤のシンジ君はスパロボ時空もかくやという状態ですが…
 いや、シンクロ率無限大て。それはもうグレンラガンの単位なのよ
・ロリアスカ可愛い

本編外
・劇場出るときに「今回の教訓は現実見ろって事でしょ」と得意げに言いながら出ていく若者たちが居た。受けとる感情は人それぞれ。あぁ…何年も前に通った道ではある。いつかお別れ出来ると良いな、と素直に思う
・映画を見に行く話をしたら、子供にプリキュアの応援ライトを渡された。
心の中で「あすかーーがんばえぇぇーー」と叫んだけもの。
・さようならはまた会う為のおまじないなので、これから先も多くの出会いがあると思っています。それはエヴァのような作品かもしれないし、新しい友人かもしれない。

アスカについて
・アスカがアヤナミ同様のクローンだった事は衝撃だったけど、
「誰かに認めて欲しい」という本質的な部分は変わっていなかった。
ただ、それを救い上げるのがこれまで何のフラグも無かったケンケンなのは多分賛否が分かれると思う。それは恋愛感情によるものより、認めて包容してくれる親子の情愛に近いかもしれないが。

さらに言えば、最後にシンジの隣に居たのがマリだったのは、古くから続くレイ派アスカ派の論争に対して白黒付ける事から逃げていないか。
と、思わなくもない。

自分はここに関しては肯定的でありたい。
アスカの感情もシンジの感情も、お互いがはっきりと口にして、過去形にした事で清算された。
 
シンジと一緒になる事は彼女にとって幸せだったのか。
最後隣に居たのがアスカなら、自分はその結末で満足だったか。
と、考えると完全には納得出来なかった。
人生においては、どちらかを選ばなければならないという2択だけではない。感情も年月で変わるし、恋愛とはそういうものでもある。
あるいは、大人になるという事を決定的に意味づけたポイントだったかもしれない。


肯定的でありたいと言ったのは、そういった部分も飲み込めるような大人に成長したと思いたいという自身への願望である。
 
ただ、そう思ってしまった時点で。
まだ消化しきれていない子供の自分も同居している事を自覚しなければならなかった。

「あんたバカァ?」

耳の痛い話である

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