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「風の谷のナウシカ」矛盾を抱えて

風の谷のナウシカを
大人になってみてみると
ナウシカの凛々しさが
どこかもろく冷たく見えました
だれにも心を開いていないような、
だれも信じていないような。

「でもみんなには内緒。
怖がるといけないから」

1人の少女として、
あのこはいつ心の底から笑うのかしら
そんなことをずっと考えていました。

腐海に不時着して
王蟲と交流したときのシーン、
気を失って幼いナウシカが登場するシーン。 

そこは辺り一面金色で、
涙で滲んだようにぼんやりしていて、
どこかから
叫びのような怖い歌が流れてきて

ああ、そうか
ナウシカの幼い頃の心は
だれにも守られなかったんだ

思いました。

あの圧倒的な強さ、
凍りつくような人間への不信感、
王蟲を守れなかった自分への嫌悪感

愛していないということと
信じていないということは、
違うのかもしれない。

ナウシカは、
ユパさまの腕に飛び込んでいくような
愛と無邪気さの後ろに、
とても冷たい気持ちを用意しているのが
ひりひりと伝わってきました。

ただただ、
私は考えてしまいます。
ナウシカのことを、
ナウシカと同じ少女だったころの自分を。
人は自分の信じたものにしか守られないのに、
それすらできない。
ナウシカを守る人は
もう誰もいないんだと思いました。

大きくなるにつれて
自分の意思とは無関係に
手足は伸びていく、
大人の正義が体の中を通り抜けていく、
その中で少年や少女たちは
何を美しいと思い、何を憎しむのか
そして、どんな心持ちでこの先を生きていくのか
ジブリが描く永遠のテーマなように
思います。


ナウシカの心の中の、
圧倒的な人間不信と自己嫌悪、
そして生命への友愛。
矛盾だらけの心を見たときに、
私は、はじめて
自分が許されたような気がしました。

漫画版風の谷のナウシカでも、
今のナウシカたち人間と蟲、
それとは違って凶暴ではなく
おだやかでかしこい人間となるはずの者ら
その優劣をつけようとするものに
ナウシカは叫びました

「私たちは血を吐きつつ
くり返しくり返しその朝をこえてとぶ鳥だ」

恐らく、ナウシカの心の中には
幼い頃に王蟲を守れなかったこと、
腐った森ではなく豊かな緑の森で生きる人間と
なるはずだった卵を見殺しにしたこと、
一生背負っていくんだと思いました。
それでいいんだとも。

そもそもこの作品そのものが、
なんの自己嫌悪も人への不信感もない人にも
何かを背負わせる重さがある。
それは何のためなんでしょうか。


あの、王蟲の青くひときわ美しい瞳。
唯一ナウシカの心に届いたもの。
きっと、ぼろぼろになった王蟲を
私たちがかわいそうだと思うことができたら
この作品はそれでいいんだと思いました。


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