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「もののけ姫」本当の憎しみからみえるもの


アシタカは腕の呪いが
エボシの放った礫のせいだとわかり
怒りに震え

剣を掴んだ右腕を押さえ込んだ

おさめた左腕が、本当の憎しみを
教えてくれた気がする


「ここのものすべてを殺すまで鎮まらぬか」

憎しみは誰かを憎めばおさまるのか、
また誰かを許せばおさまるのか、
でも、本当にそんな簡単なものなんだろうか

暴れて泣いて
タタリ神をみて、私とおんなじだ
と思った

ナウシカのときとも同じだった

「憎しみに駆られ、
殺してから王蟲は泣くのよ」

この作品は、決してグロテスクを
ただの嫌悪感で描き切らないところに
大きな意味があると思う

まるで意思を持ったみたいに
赤いタタリは熱を帯び、その人の体に巣食う

シシ神の前で、灰色になったタタリ神が
もはや鎮まったものだということが
感覚的にもわかるのは
アニメーションとして
本当に感心するべきだと思う


タタリ神 誰の身体にもあるべきもの

仲間を人間に殺され恨みで心をいっぱいにした
乙事主がタタリ神になったように

それはアシタカの感情とともに
うごめくように

室町時代の狭間、
南北朝から続く下剋上、悪党横行、
武士と百姓の区別が曖昧になり
ここは生死の輪郭が今よりずっと
はっきりとした時代だった

混沌と憎しみの連鎖の中で、生まれ、
組みこまれる子どもたち

「アシタカはすきだ、
でも、人間を許すことはできない」

時代に引き裂かれながら巻きこまれながら
出会う少年と少女

歩けたか?
と聞く
ありがとう、サンのおかげだ
と答える
うれしそうなサンがかわいく、愛おしい

一見すると不思議なのは
この物語では、武士や貴族はほんの脇役で、
代わりに出てくるのは
朝廷から見放された蝦夷の一族や
タタラ者の製鉄集団だった



歴史ではまず
表に出てこない存在で

そうか、この作品が描きたいのは、
もっと土着的なものなんだ、と
思った


歴史書には残すことのできない、
混沌の最中に引き裂かれた生の感情は
その中にあるはずなのだから

病、戦、行き倒れ
今の時代に程遠くなった貧困
けれど今の私たちもまだ
憎悪の渦に巻きこまれている

山犬とヤックルの友愛よ
タタラ者のアシタカへの情よ
誰もが身のうちに潜む憎しみと
それに抗おうとする意思よ

全てがその渦中にある、
本当の憎しみと慈しみ

傷つけられた傷をどんどん降り積もらせ
積み上げて
そうしてもう誰を憎んでいいのか
誰と向き合えばいいのかわからないような
そんな憎悪を持っているべきではないのだ


何かを責めるためでも、
また許すためでもない

憎しみに駆られ、おさめどころのない 
気持ちのまま
アシタカに鉄砲を向ける村の女

その額の汗と慣れない銃を背負う手つき

本当は彼を殺したくはなかったのだ

本当の気持ちと、そうでない気持ち
私は知らなければいけない
知った上で その人に銃を 
向けなければいけない
銃をおろすのなら
その決断をするし、
またそれを促さなければいけない

「人の手で返したい」

アシタカは言った
ジコ坊からシシ神の首を奪ったりはせずに

誰かの正義が誰かの犠牲になることを
彼は己の身をもって知っているのだ

だから問い、懇願し、促すのだ
彼は信じている、ジコ坊なら、
あなたも人間なら分かってくれると

本当の憎悪を通して見えてくるもの

憎悪を描くが、
それはもっと大切なものがある事を
描くためである。
呪縛を描くのは、
解放の喜びを描くためである。

「いやだ、タタリ神になりたくない」


持ちたくもない憎悪に懸命に抗うサンが、
この世で見るどんなものよりも
ただただ、美しかった

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