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現象と観照は一体

◇現象と観照は一体◇

今回は、観照(観照意識)について少し切り口を変えて書いてみたいと思います。

まず、観照意識について改めて説明します。
観照意識とは、ものごとをただ観ている意識要素であり、通常は様々な思考や感情に遮られて気づきにくいですが、それなりに囚われが減り、思考や感情が減ると自然と意識の表層に現れてきます。
その観照意識に気づき、観照意識を捉えることで、小悟となります。
観照意識を捉えるとは、私がその観照者であることに気づくことです。

この観照という現象は、悟りに関係なく、またどんなに深く悟ろうと、無くならないのです。
目が覚めているときはもちろん、寝ているときも、続いています。
唯一の例外として、一切の現象が消滅する滅尽定(涅槃)に落ちているときだけ、現象の消滅に伴って消滅します。

なお、大悟に至ると、誤認又は錯覚から生じていた主体と客体の分離が解消され、この世界を、主客の分離の無い一つの現象(正確には、識の連鎖)として捉えられるようになります。
小悟の段階では、観照の視点が主体側にあり、観照の視点と客体である対象との間に分離感があるのですが、大悟に伴って、主体側にあった観照の視点の脱落(正確には、脱落したような感覚)が生じ、あたかも観照そのものが脱落したかのように感じることがあると思います。

しかし、それは錯覚です。
観照が脱落したのではないのです。
観照は、連鎖的に展開する識に一体となって続いています。

なぜなら、相変わらず、否応なく展開していく現象が見えている訳ですから。

そもそも、観照とは現象というものに一体となって含まれているものなのです。


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