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自覚のヒント

【自覚のヒント】
【目次】

〇自覚について
・悟りと自覚
・悟り階層と自覚
・無我の誤解について
〇小悟に向けての自覚(最初の自覚)
・私に意識を向ける
・観る自覚
・行為の自覚と自我の主体性
・考えの自覚
・小悟に向けた自覚のポイント
〇大悟に向けての自覚
・私を捉え直す
・大悟に向けた自覚のポイント
〇解脱に向けての自覚
・再度私を捉え直す
・解脱に向けた自覚のポイント
〇滅尽定について
・滅尽定と悟りに関する考察
・滅尽定に至る方法


【自覚について】
◇悟りと自覚

 悟りとは、私という自我の囚われに気づき、それを手放していくことです。悟りの行程の歩み方には、漸悟と頓悟があります。漸悟は、囚われをひとつずつ手放して悟りの行程をゆっくり進んでいくものです。頓悟は、何らかの契機により囚われの手放しがまとまって生じることで悟りの行程を何ステップか飛ばして進むものです。おそらく殆どの方は、漸悟と頓悟を組み合わせながら、悟りの行程を進んでいくのだろうと思います。
 自覚は、私という自我が掴んだ囚われに気づくための手段です。私に意識を向けることで、自我が掴んだ囚われに気づきやすくなります。自覚を続けていくと、自我が掴んだ囚われに段々と気づくようになります。このため、自覚による悟りの行程の歩みは、漸悟になります。
 私という自我が存在するこの世界は、無数の考えがうごめく考えの海のようなものであり、複雑かつ無限です。彷徨う中で、「これだ!」と思って掴んだものも幻に過ぎず、悟りの行程に入ってもなお、迷います。そのような考えの海で、頼りになるのは私という自我だけです。自覚は、私という自我を頼りに考えの海を渡る船であり、手段です。そしてこの手段は、悟りの行程の最後まで使うことができます。これほど優れた手段は、おそらく他にはありません。

◇悟り階層と自覚

 悟りには、小悟、大悟、解脱の3つの階層があります。小悟は、良い悪い等の二元の囚われの手放しが凡そ済み、意識の表面にただ観ている意識である観照意識が現れた階層です。そして、囚われに対する手放しがさらに進み、ほぼ苦(根本苦)に対する囚われのみを残した状態になると大悟に至ります。大悟は、私という自我は意識であり、世界そのものであることを悟ります。最後に一切皆苦を悟ると、解脱に至ります。
 自覚の基本は、私に意識を向けることであり、これはどの悟り階層で行う自覚も同じです。しかし、悟りの進展に伴い、自我に希薄化や微妙な変化が生じるため、細かな部分で自覚のやり方やポイントが変わっていきます。そこで本書により、各悟り階層での自我感覚等の変化に応じた自覚のやり方やポイントをわかりやすくお伝えできたらと考えています。

◇無我の誤解について

 禅の頓悟も含め、何らかの悟り体験に伴い、悟りの行程を何ステップか飛び越えて悟りが進むときがあります。このような場合、急激な自我感覚の希薄化を伴うため、自分の自我が滅したという錯覚が起きやすいです。そして、多くの方は無我に至ったと勘違いし、誤った無我という考えに嵌まり込んでしまいます。
 悟りの概念として、原始仏典にも無我という概念が記載されておりますが、本来の無我は私が無いという意味ではありません。無我とは、一切に実体が無い、あるいは一切に絶対が無いという意味です。どんなに深く悟ろうと、私という自我が無くなることはありません。存在、あるいは世界が継続している以上、自我が無くなることはないのです。悟りの終着点は、無我ではないのです。

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